桐生南無の会 会長として会報に掲載した
青蓮寺住職(本間光雄)の文章 (平成22年以前)
掲載の古いものほど下にあります。
もう年の瀬 桐生南無の会会報平成22年12月号掲載文
ある心理学者が、その人にとっての1年の感じ方は、年齢分の1であると言っています。
確かに子どもの頃の一年は長いように感じていた。しかし今では60分の1である。短く感じて当然なのかと、変に納得をしてしまうこの頃です。
今年は実にあわただしく過ぎ去ろうとしています。やらねばならないことが沢山あるにも係わらず、予定通りに事が進まなかたり。気持ちが焦るばかりですが、この状態は来年も続きそうであります。
落ち着いたらこれをやろう、あれをやろう。様々な思いが駆けめぐるのだが、空回りに終始している。そんなことを繰り返した一年であります。
一年の総括を書いてみようとするのだが、考えがまとまらない。そうこうしている間にも、次々と事件が起きてきて、余計に心が乱れてしまう。ますます焦りが生まれて、悪循環に陥ってしまっている。こうなると恨み言の一つも言いたくなると言うのが人情でありましょう。
確かに言いたいことは山ほどあります。小学生の自殺についても、言いたいことが沢山出てきます。しかし、そこに私の憶測が入ってしまう恐れが実に大きい。憶測というレンズを通して物事を論じたくない思いが、そこにブレーキをかけます。
メール相談にも『死にたい』と送られてきます。その理由は様々であり、人の弱さを痛感させられる事が多い。人は誰でも、一人では生きてゆけない存在だと痛切に感じてしまいます。
無縁社会ということばが生まれ、行き場のない遺骨がお寺に送られてくる、そんなことも現実になってしまっています。家族関係の、人間関係の崩壊が始まっています。それは私の予測を遥かに上回る勢いで拡大していると言うのが正直なところです。
近い将来、突然に差出人不明の宅急便で遺骨が送られてくる。そんなことが起こりそうな予感もあります。そんな事態にどのように対処すべきか、答えは見いだせていません。
今後ますます寺院に求められるものが多様化するのでしょうが、あくまでも個々の判断にゆだねるべきか、ある程度共通理解の上に立つべきなのか、悩むところでもあります。
政治は混迷の一途をたどり、経済状況を含めて出口が見えない今、心の有り様は確実に変化しています。葬儀や法事も、変化の度合いが急であります。
あれこれ思いをめぐらすだけで、具体的な方策は見いだせない。変わらなくてはならないことだけが、事実として存在している。
鎌倉期、時代の要求に応えた仏教者達。明治の大変革にも対応した。今まさに同じ様な変革の嵐が吹き荒れているように思えてなりません。
生かさせて頂く 桐生南無の会会報平成22年11月号掲載文
酷暑がアット言う間に過ぎ去り、いつしか虫の声も小さくなってきました。 庭に目を転じると、蓮は葉が枯れだしています。睡蓮も葉の広がりが縮小して、池の水面が広くなっています。 酔芙蓉は最後の花が終わり、コスモスも勢いを失って、ツワブキの黄色い花が庭の主役になってきています。
杉の雄花は例年になく多いようです。きっと来春は杉花粉症で悩まれる方が多いのではないかと案じられます。自分の周囲を見渡して、様々なことを考えることが出来る、実に平安な境内の様子です
ところが、先日の奄美大島での集中豪雨災害、信じられない光景が映し出されました。20数年ぶりという巨大台風13号、900百ヘクトパスカルを下回りました。その台風とは遥か離れているのですが、秋雨前線を刺激し今回の惨事が引き起こされたと言います。
自然は、私たちに大きな恵みをもたらします。逆に大きな災いをもたらすこともあります。禍福はあざなえる縄のごとし、であります。恐らく以前にも書いたことがあるような記憶があるのですが、今回改めてそのことを実感させられました。
まさかという思い、避けようもない理不尽な自然の猛威。私たちの力ではどうにもしようがありません。ただやられっぱなしになるほか無いのです。とても残念ですし、悔しいのですが力の及ばないことであります。
僅か2時間で260㍉の豪雨、どのようなものか私には想像が出来ません。高速道路で雷雨に遭遇し、皆が走るのを止めるような状況でも時間当たり50㍉程度だそうです。以前練馬で100㍉の雷雨があった時に、そこに居合わせた人が「それは凄かった」と語っていました。それ以上の雨が2時間も続くとなると、そこに居合わせた人たちは一体どのような思いでいたのでしょうか。
急激に水かさが増し、幼なじみの墓石にしがみついて助かった方がニュースで紹介されていました。絶対助けてくれと、墓石を叩いたとも、一人でなかったから助かったとも仰っていたことが耳に残りました。
土砂に覆われた家々、濁流に削り取られた舗装、無惨に崩れ落ちた山肌、何を見ても人の無力さを感ぜずにいられません。ただただお見舞いを申し上げ、一日も早い復興を祈るばかりであります。
私たちは、雨が降らなければ降らないと文句を言い、降れば降ったで文句を言います。いつでも自分にとって都合の良い恵みばかりを求めてしまい勝ちです。地震は嫌だけれども、温泉は欲しい。これが人情というものでしょう。
ところがよく考えてみると、何事も自分の都合の良いようにはいかないものです。それがこの世に生きるということなのだと思います。とても厳しい現実があることを私たちは謙虚に認めなくてはならないようです。
どんなに恨んでみても、逃れようとしても、避けられないものが確実に存在しています。それらを含めて無常というのでありましょう。正(まさ)しく『諸行無常』の世界に身を置かざるをえないのが私たちであります。
人は弱い存在ですから、何かに頼りたくなるものだと思います。しかし、それが信仰の結果だとか、先祖の霊障だとか、いかにもありそうなウソを並び立てる輩の多いことにうんざりしてしまうものです。
どんなに科学は進歩しようとこの現実は変えようがないのです。逃れる術はないのだと言うことをいつも心に留め置くことが大切なことであります。
ありのままの現実をしっかりと見ることをせずに、文句ばかり言っても、何も解決できません。返って生きていることが苦しくなり、不幸の連鎖が待ち受けるばかりだと思いませんか。
大切なことは、あくまでも謙虚に、生かさせて頂いているという感謝の思いであります。今こうして生きていられることを素直に感謝する心こそが、幸せへの道だと考えているものです。
インド八大聖地参拝の案内
さて、話が変わりますが、来年の1月19~30日の12日間、インドの仏跡参拝を計画しています。昨年実施しました仏跡参拝と同じコースを設定して、息子を行かせることにしました。 今でこそインドの寂れた田舎に仏跡はありますが、お釈迦様の時代には交易で栄えた地で、大きな遺跡が残されています。その八大聖地を一挙に参拝する巡礼の旅であります。
今インドはすさまじい勢いで発展を遂げています。道路の整備も急ピッチで進んでいるところです。ですから、昨年よりも遥かに移動は楽になっていると考えられます。
前回は交通事情が悪くて時間が無くなってしまい寄れなかったパトナの第三結集の地。クシナガラの近く、お釈迦様に最後の食事を供養したチュンダの村。これらの場所にも立ち寄ることが可能なようです。
延々と続く同じ景色、これは日本では味わうことが出来ません。一日300キロ以上を移動するバスの旅で感じたことは、お経の中に出てくる距離や時間の大きさでした。日本では決して感じることの出来ないスケールの大きさを肌で感じ、納得したものです。
良く「インドに行くと、世界観や価値観が変わる。」と言われますが、正にそのとおりです。
ラージギルからクシナガラは、お釈迦様の最後の旅路をたどるなど、オリジナルツアーならではのコース設定です。もし興味がありましたらお問い合わせ下さい。息子に同行して下さる方を募集しています。
夏ばてになれない 桐生南無の会会報平成22年10月号掲載文
記録ずくめの夏が終わろうとしています。それにしても酷暑という言葉が身にしみました。
お彼岸の入り、墓参者に振る舞ったのは冷たい麦茶。午前中は雨模様でしたが、上がるにつれ気温は急上昇。慌てて麦茶の用意をすることとなりました。
九時頃に強い降りになってしまい、10時から予定していたインド仏跡のお砂踏み、仏足石の完成法要をひかえ、恨めしい思いで空を見上げていたのですが、直前に上がりなんとか無事に法要をすることが出来ました。
これも仏様の御加護でしょうか?感謝する以外にはありません。それにしても、何と人の力の頼りないことでしょう。暑くなる、雨が降る、確かに色々なことが事前に予測できるようになりました。DNAを調べれば、その人が今後罹るであろう病気まで予測できる時代です。でもこれは人の勝利ではありませんよね。
どんなに科学が発展しようとも、人の力の及ばないことは山ほどある、それが現実であります。そして、その現実を受け入れることが出来るか否かは個人の力量なのかもしれませんね。
受け入れたくない現れとして『病魔と闘う』良く聞く言葉です。しかしそこには自ずと限界があるのです。
法律の改正により、臓器の提供、脳死の判定が急造しています。これは想像以上の現象です。それとはなく家族に提供を促す働きかけがなされているのではないかと、思わず疑ってしまいます。
仮に、元気な心臓と入れ替えることが出来たとしても、永遠の命を手に入れたことにはなりません。ほんの僅か時間を延ばすに過ぎないのです。命には限界があることを謙虚に受け止めることが必要なのだと考えています。
政治も経済も、めまぐるしく変化しています。私たちは、好むと好まざるとに係わらず、その激流に身を置かなくてはなりません。激流に翻弄されて、あるべき姿を見失ってしまっているとしか言いようがありません。
それにも増して、このところの忙しさは一体どうして入るんだと言いたい状態に襲われてしまいました。お施餓鬼の法要が控えているのに、未だ塔婆一本書けていない、私にとってはこれこそが異常事態であります。
自らが招いた結果もありますが、その多くは外的要因です。外的要因にもみくちゃにされ、もがいているのが正直なところです。
身体はくたくた、完全にオーバーフロー状態です。既に身体は悲鳴をあげています。そして『何とかしてくれ』と叫んでいるように感じるのですが、どうにもしようがありません。』
無理は承知でやるしかない、これでは夏ばてになっていられません。
酷暑に思う 桐生南無の会会報平成22年9月号掲載文
今年は、猛烈な酷暑に見舞われてしまいました。日本中が、連日の暑さに耐えて息をひそめているという感すらあります。それにしても、なんと熱中症に倒れる方の多いことでしょう。連日ニュースでは『熱中症にならないように水分を取りましょう』と、もう叫びに似た状況です。
私たち人類は、文字と言葉の出現により、その進化の速度を速めています。過去の出来事が記録され、同じ状況になった場合には、どのように対処したらよいのかを紐解くことが出来ます。それなのに熱中症で倒れる方は後を絶ちません。
なぜなんだろう?そんな疑問が湧き出しました。そして私なりに一つの結論に達したわけです。
今年の7月の平均気温は、2~3度高かったと言われています。ここにヒントがあります。『今まで誰も経験したことのない暑さだ』と言うことです。地球温暖化が危惧されている昨今ですが、もしこれが温暖化のなせる技だとしたら、今後ますます暑さはきつくなることでしょう。
私たちは、過去の経験に基づき、行動しています。その経験が役に立たないのが今年の暑さだと言うことではないでしょうか。去年の夏は、こうして熱中症にならなかった。だからこうしていれば良いはずだ。そんな思いが誰にでもあると思います。しかし、経験したことのない暑さの前では、経験則が役に立ってくれないのでしょう。
こう考えるのが自然なのではないかと思います。だから、いくらニュースで『熱中症に注意』と呼びかけたところで、後を絶たずに倒れる方が続いてしまうのだと思うのです。本当に危険極まりのない天候だと言えるのです。
熱帯地方を旅した方が「昼間から仕事もしないでゴロゴロしている、だからいつまで経っても発展しない」そんな感想を述べられることがあります。でも、よく考えて欲しいのです。この炎天下で仕事をすれば、どういうことが起きるかは、火を見るより明らかなのです。
熱帯地域の人々は、昼間は木陰などで体を休め、日が落ちて、いくらかでも涼しくなった時間帯に仕事をしています。観光客の目には止まらない時間帯に、一生懸命に仕事をしています。私たちとは逆の生活パターンの方が沢山いるのです。
これは、彼らが身につけた生活する知恵です。過去から受け継いできた経験に基づくものです。私たちも、見習う必要があるのかもしれません。
何はともあれ、まだしばらくはこの暑さが続きそうです。だとすれば、私たちは熱帯地方の人たちの暮らし方をもっと沢山学ぶ必要があるのかもしれませんね。
幾分でも暑さ対策になりましたら。
梅雨明け 桐生南無の会会報平成22年8月号掲載文
今年の夏は突然にやってきた?そんな感じのこの頃ですね。梅雨ほ高温多湿、しかし日照は少ないようでした。蓮も熱帯睡蓮も元気がなく、チョットおかしい状態を感じさせるものでした。元気がないのに蓮の蕾は早い、冷夏を予感させるものでしたが、梅雨が明けたとたんに、猛烈な暑さに見舞われてしまっています。しかも長期予報では夏が長いと報じられています。
連日37~8度にもなろうかという気温には、全く手も足も出ない状態です。じっとしていても汗がだらだらと流れています。作務をしようにも身体が言うことを聞いてくれない。原稿を書こうとすれば脳味噌が働かない。実に困ったものです。
ニュースでは連日「熱中症』が報じられていて、多くの方が災難に遭われているようです。この暑さ、今までの経験が役に立たない次元ではないでしょうか。ひょっとしたら、最高気温の記録が塗り替えられるかもしれませんね。
この暑さで、蓮は極めて元気になってきました。蕾が次々と出てきます。その伸び方も凄いですね。アット言う間にすくっと立ち上がってきます。既に八種類の蓮が、咲くか蕾を持っています。このまま暑さが続けば、お盆の頃にも盛んに咲いていてくれるのではと期待しているところです。
この暑さ、私たちには極めて厳しいものです。ところがインドの夏はもっと暑いわけです。仏跡のあるガンジス川の流域は、内陸性気候ですからとてつもなく気温が上がります。新聞の世界の天気欄を見ていると、首都ニューデリーは40度を超しています。私が経験している気温より3~4度も高いわけです。
そしてモンスーン(雨期)、連日のようにスコールがやってきて人々の移動を妨げます。これはお釈迦様の時代も同じことです。とても旅が出来る状態ではありません。そこで夏から雨期にかけての四ヶ月間ぐらいは共同生活をしながら修行を重ねることになります。これを安居と言います。
雨期が終わり、いよいよ布教の旅を再開する。安居明けの行事がお盆となります。インドでは『ウランバナ』、漢字で音写したのが『盂蘭盆』です。それを省略して『お盆』となりました。
私たちの先祖は、お盆中は殺生を慎みました。魚釣りが好きな人も、この期間だけは我慢したものです。ところが今ではそんなことお構いなし。多くの太公望が魚釣りに興じている姿を見ることが出来ます。
せっかくのお盆、たまには日常を離れて、静かに自分のあり方を考えてみてはどうでしょう。生きる中で最も怖いことは、自分を見失うことだと思うのですが、それすら気が付かないのではご先祖に申し訳が立ちませんよね。
悲しい知らせ 桐生南無の会会報平成22年7月号掲載文
桐生南無の会でも記念講演会の講師をお務めいただいた松原哲明師が去る6月6日、突然に遷化されました。
5月25日、私は樹徳高校の緑陰祭で師にお会いしたばかりでした。その10日後のあまりにも突然の出来事に呆然とするばかりでした。
お会いしたとき、私は哲明師に「今インドで仏足石を制作しており、間もなく出来上がってこちらに着くことになっています。その仏足石を泰道先生にお供えさせていただきたいのですが、受け取っていただけるでしょうか」と、恐る恐るお尋ねをしました。哲明師はこの申し出を快く受けて下さり、安堵したばかりでした。
私は、昨年のインド仏跡参拝の折りに記念に持ち帰った聖地の土やレンガのかけらによるお砂踏みを発願し、その象徴として仏足石の制作を発願したのです。
石材には、インド屈指の霊石クリシュナ石を得ることが出来、これも仏縁のなせるわざと、興奮していました。既にインドを出航し、あと二週間ばかりで到着という状況下での知らせであります。
ブッダガヤで発掘された仏足石をもとに私自身がデザインしたもので、その側面には、クシナガラで発掘された涅槃像の台座に刻まれた、お釈迦様の最後の弟子スバッダの姿が彫ってあります。
私はスバッダの姿に自分自身を重ね、お釈迦様の弟子としての思いを新たにしようと考えました。また、お世話になった泰道先生に対する思いも、この仏足石に込めたのです。先生からいただいた数々のご恩を風化させることなくこれからも歩み続けなければなりません。
沢山の思いを込めた仏足石、哲明師には制作途中の写真をご覧いただいただけでした。出来上がったものをご覧いただくことはついに叶いませんでした。それにもまして、3人の仏前に供えるという、想像だにしなかった事実をどのように受け止めたらよいのか、心は乱れます。
「この世は無常である、私の本にもそのことは沢山書いてあったよね。」そんな声が聞こえてきそうです。お釈迦様の声も聞こえる気がします。
どんなに残念と思っても、別れを惜しんでみても、この事実は変わることはありません。だからこそ、笑われないようにこれからも一生懸命に歩かせていただきます。どうか見守って下さいますように。
今、改めて泰道先生の著書を紐解いている私であります。
沢山のお陰を有り難うございました。
新たな一歩に向けて 桐生南無の会会報平成22年6月号掲載文
先日、中外日報という宗教関係紙のコラム欄に、国学院大学教授石井研士氏の『宗教の不可視化』と題する一文が掲載されました。
その中で氏は
見えないのは宗教団体だけではない。 宗教者の姿も見えない。と断じ、
平成十七年の日本総合調査の結果を示しています。
もしあなたが個人的な悩みやストレ スを多く抱え、『ノイローゼかもし れない』と不安になったとしたら、 誰に相談したいと思いますか。
という設問に対しての回答で多かったのは「家族」で71%、ついで「友人・知人・恋人」で38.5%と続いていました。しかし「僧侶・牧師などの宗教家」は僅かに2.3%であり、愕然とする現実であると。
そして、「十三歳のハローワーク公式サイト」における、子供が招来なりたい職業ランキングで「僧侶」は三百位であることも紹介されていました。 氏は、
職業に対する憧れや敬意以前に、存 在感がないのかもしれない。
との危惧を発しておられていました。
この投げかけに対して私は、現在の日本における宗教事情を良く表していると認めざるを得ませんでした。そして、今まで、長年の付けがこの事態を招いているとしか言いようがありません。
私は年に10回前後、本山の修行僧に対して布教に関する講義をしています。この内容について早速講義に取り入れました。そしてこれが現実であることを認識し、布教についての必要性を説きました。
恐らく修行僧にとっては、理解し難い部分もあることと思います、しかし看過することは出来ません。
過去に何度も書きましたが、いずれ寺院数は三分の一にまで減ると言われ
ています。今や既に生き残り戦の真っ直中にあるということが出来ます。あらゆる業界が日夜激しい生き残りのための戦いを繰り広げています。戦いに敗れた企業は、アット言う間に私たちの前から姿を消してしまいます。
それまでは、時代の寵児ともてはやされていたはずなのに、その記憶も覚めないのにです。業界全体が存亡の危機に瀕しているものもあります。デパートの苦境などは最たる例であります。
これは、宗教界とて例外ではないと思えてなりません。いま仏教を取り巻く環境はすさまじい勢いで変化しています。ベストセラーになった『葬式は、要らない』には、寺は要らない、墓は要らない、戒名も要らない。衝撃的なコピーが新聞などで踊り狂っています。
本の内容を知らない、理解していない人たちがこのコピーに踊らされています。言葉の一人歩きが怖いと感じるのは私だけでしょうか。
この衝撃的なコピーが受け入れられてしまうほど仏教を取り巻く状況は悪化しているとも言えるのではないでしょうか。
講義は続きます。極めて悲観的な状況なのですが、努力次第では大きく変わることもあり得るのです。困った時に宗教家に相談するとした人は僅か2.3%です。ほんの少し相談したい人が増えれば、一気に50%、100%の増だってあるのです。
お釈迦様は、お葬式をしていません。生きているのであれば、死に瀕している人に対してでも教えを語られました。常に生きている人と向かい合っていました。
生の延長線上に死があります。この線(人の一生)で係わることなくして仏教の再生はないものと考えます。これこそが基本に立ち返るということではないでしょうか。
伝統という言葉は、耳障りがよいかもしれません。しかし何をもって伝統とするのか、実にぼやけてしまっているのが現在ではないかと思います。
お葬式が一般的になったのは僅か300年程度です。めいっぱい広く考えてみても鎌倉時代にまでしかさかのぼれません。檀家制度は江戸時代に幕府によって構築されました。僅か400年の歴史しかないのです。
様々な儀式なども、その歴史をたどってみると、一部を除きさほど古くはないようです。それを伝統と言うには無理があるように思えてならないのです。
檀家制度も批判の対象にあげられることが多くなってきました。考えてみると、実は、各宗派の祖師さん方の時代には檀家制度などなかったのです。ある時には、守られないばかりか、政府による弾圧さえありました。極めて困難な状況下にあって、その中で何をなされたのか、よくよく考えてみる必要があると考えるものです。
どの宗派でもそうなのですが、何かあると『宗祖に帰れ』という言葉が使われます。しかし本気で言っているとは思えないのです。本気で言うとしたら、現状を否定することから始めなくてはなりません。少なくとも私には、そう思えてならないのです。
桐生仏教会を起こした先人方は、大きな時代の変化の中にあって、仏教ここにありの気概を示されたのです。神仏分離令、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる中にあって、あえて困難に立ち向かわれ今日の礎を築かれました。
矢継ぎ早に社会事業を興し、困難に立ち向かわれた姿は、実に気高く尊いものであります。
この先人の姿をもう一度見つめ、改めてその凄さを感じ、再認識をすること。これが百年の伝統を守ろうとする精神になるはずです。
崇高な理念のもと仏教会を起こした先人に恥じないためにも、私たちは今改めてここに新たな一歩を踏み出さなくてななりません。
南無の会26周年記念講演を迎えて
『知るは楽し』 パンフレット掲載文
熱帯睡蓮に取り組んで既に4年が経過しました。性質は全く判らず、しかし青紫の花の色に魅せられて、試行錯誤を重ねています。栽培の本を何度も読みますが、その通りにはいきません。場所、気候の違いもあるのでしょうか、毎年迷いながらとなります。
前回はこうした、その前はああした。今回はこうしてみよう。春も終わりに近づき、もうダメだとあきらめかけた頃に、やっと葉が出だしてみたり。かろうじて越冬に成功したものの、全く育たず、親芋の周りに小さな葉がついたまま秋になってしまったり。購入先(本の著者)に教えを請うメールをしたり。
今年になりなんとか上手くいきそうな気配が見られますので、些細な変化も見逃すまいとしています。それほど苦労するなら「また買ってしまえば」と言われてしまいそうです。
まだ小さい株は、桶の中でポットに植え込んだ状態です。そこにはボウフラ除けにヒメダカが入れてあります。そのヒメダカの腹が大きく膨らんでいることに気付きました。雌が卵を抱えているのです、しかしこれ1匹の桶です。そこで隣の桶にいたヒメダカを入れてやったら、半日も経たないうちに産卵が終わっていました。 睡蓮の葉はまだ水面に上がってきません。小さな葉と細い茎、そこには産み付けられた卵が見えます。となると、この卵がかえらないうちは動かすわけにはいきません。どうしたものかと、また水中に目を凝らします。蓮の方もレンコンが順調に伸び出しているようですが、天気予報はやはり気になります。
私たちは、自分の目で見て、自分の肌で感じてと、沢山の情報を受け取っているはずです。しかし気付かずに過ぎてしまうことがなんと多いことでしょう。
今年の夏はどうなるのでしょう。蓮や睡蓮の生長を見ながら考えてみることも楽しいことであります。そこから新たな発見が生まれ、知ることが出来る。とても有り難いことです。
様々な出会いや南無の会は、私たちに沢山のことを気付かせてくれます。それらの一つ一つを大切にして、豊かな人生を築くことが、生きていると言える証なのかもしれません。
『絆』 桐生南無の会会報平成22年5月号掲載文
私たちは生きているからこそ、様々なご縁に巡り会うことが出来ます。これは本当に素晴らしいことだと感じます。ところが、最近はどうもそこが違ってきていないでしょうか。袖ふれあうのも何かの縁として、人と人との出会いを大切にした、先人から受け継いできたはずの精神がおかしくなっていないでしょうか。
『絆』という言葉・文字に、最近やたらと出会います。しかし実際には、家族制度は大きく崩れて、個人中心にと変わってしまいました。無縁死なる言葉も生まれています。葬儀が営まれることもなく直接火葬場に、遺骨は散骨に名を借りた骨捨てとなり、この世に生きた証さえ残さない風潮さえ見受けられます。
今、親兄弟であっても家族としての絆を失いつつある、それを肌身で感じていて、悲しくて・不安でしようがない。どうして良いのかさえ、解決の糸口すら見いだせないでいる。その裏返しの言葉が『絆』なのではないかと感じるのです。
なんだか、日本全体が自信を失ってしまい、どうにも出来ないでいる様に思えてなりません。どうにかしなくてはならない、でもどうしたらよいのか。迷いはさらに深まるばかりであります。
大きく世の中の仕組みが変わろうとしています。今後、地方は益々疲弊してゆくことでしょう。先日群馬県の人口が二百万人を割ると報じられていました。
今までは、人口が増えることがよいことと考えられていました。人口が増えることが地域活性化の原点みたいに考えられてきました。しかし、家族もどんどん縮小しています。
明らかに、人と人との関わり合いが希薄になってきています。ですから、今、最も必要なことが絆を作ることなのでしょう。なんだか悲鳴にも等しい
感じてきます。
その絆の基本となるのが親子のかかわり方であると思えてなりません。どのような関わり合い方をしたのかが、とても重要だと感じるのですが如何でしょう。
四月の始めに、インドの仏跡二十三カ所のお砂踏みが出来上がりました。現在仏足石を制作中で、お盆前には完成となる予定です。
このお砂踏みは、楕円の石のプレートがケンケンパに配置してあります。散歩がてら境内に遊びに来た親子が、ここで遊んでいました。子供はいつまで経っても止めようとしません。何回も行ったり来たりでピョンピョンと跳び続けていました。
保育園の帰りなのでしょう、もう夕方です。お母さんは、早く帰って夕飯の支度をしたいところです。『もう帰ろう』盛んに子供を促して、やっと帰りかけますが、また子供は戻ってしまいました。
しばらくして跳びつかれたのか、帰ってゆきました。家の中でゲームでもやらせておいた方が楽に違いありません。でも、このお母さんは子供に最後までつきあっていました。子供は満足したことでしょう。お父さんが帰ってきたとき、ケンケンパをして遊んだことを得意になって報告するかもしれません。
踏み石には、各地の簡単な解説も彫り込まれています。きっと子供はお母さんに尋ねるでしょう。読めるようになったひらがなやカタカナ、でも読めない難しい字もあります。
尋ねられたお母さんは、子供に答えるためにそのプレートを読まなくてはなりません。知らず知らずのうちに、親子でお釈迦様のことを知ることにもなります。プレートに書かれていることにに興味が湧いてきたら、お釈迦様についてもっと沢山のことを知りたくなるかもしれません。
そこには親子の会話が存在します。ともに学ぶ喜びも感じてもらえるかもしれません。お寺に来ることが楽しくてたまらない。次々に咲く花を見て、また新たな興味が湧くかもしれません。そうやって積み上げる時間が、やがて固い絆を結んでくれることと確信しました。
今、インドの地では、私の考えに基づいた仏足石が制作されています。基本はブダガヤで発掘された紀元前一世紀頃のものです。仏足石としては最も古いものであるとも言われています。
間もなく仏足石はインドを出発する予定です。千三百年前に遣唐使が海を越えて求道の旅をしたわけですが、その旅を偲ばせるかのように、海原を超えての舟旅をしてまいります。お釈迦様を象徴する仏足石が、お砂踏みのゴールになる予定です。
仏足石の側面には、お釈迦様の最後の弟子となったスバッダの後ろ姿を彫り込んであります。クシナガラの涅槃像の台座にあるスバッダの姿そのものであります。
私たちは誰もが、お釈迦様の弟子であります。この仏足石と向かい合ったときに、我が身をスバッダの姿に重ね、その思いを新たにしてお釈迦様を感じてもらいたい。そんな願いを込めさせていただきました。
仏教、お釈迦様の教えは実に穏やかです。教えに触れるだけでも心が洗われるものだと思います。追いつめられたような感じが色濃い今、私たちにとって一番必要なことは心のゆとりでありましょう。豊かな心を取り戻さなくてはなりません。
心にゆとりが出来、豊になることにより、人とのふれあいも復活できるのではないかと期待するものです。
そこからは、不平不満は去り、感謝の心が生まれ出るものと信じています。この世で生きる人々が、幸せにならなければ、お釈迦様が法を説かれた意味がないと感じるものです。
足を知る 桐生南無の会会報平成22年4月号掲載文
先月、松原先生の残された言葉について書かせていただきました。一つ一つの言葉に、ずっしりとした重みがあります。それは一つの生き方を通した先生の人生哲学そのものだと思います。私が同じ言葉を発しても、この重さ、説得力は残念ながらありません。
人生の先輩の言葉には、とてつもなく重みがある言葉が、何の力みもなく淡々と発せられることがあります。ゲゲゲの鬼太郎の作者で知られる水谷しげるさんの対談番組を見ていて同じ事を感じたのです。
戦地で左腕を失う負傷を負い生死の縁をさ迷われた氏は、戦後貸本作家を生業としていましたが、その生活は極めて貧しかったと言います。腐りかけたバナナ(売り物にならない廃棄商品だと思います)を食べて飢えをしのいだとも語って居られました。たぶん私には想像も出来ない赤貧の中での日々を過ごされたと感じるものです。
貸本が廃れる中で漫画雑誌が台頭します。ここでやっと芽が出たそうです。
それまでとは打って変わって仕事の依頼が殺到する人気作家になるわけです。お金も沢山入り、豊かさを謳歌できるようになったわけですが、それに対する氏の言葉に驚かされたのです。
「金持ちになったからってぼた餅が四つ食べられるわけではない、やはり三つだ。」と言うのです。確かにお金持ちになったからと言って胃袋が大きくなるわけはありませんよね。この言葉が、すとんと私の心に入ってきました。人間には欲があります、その欲は止まるところがありません。欲のままに突き進んでしまったとしたら、どのような事態に陥るか判りません。氏の言葉は正しく仏教で言う『知足』でありました。そして「幸せには限界がある」とも語っています。禍福は糾える縄のごとし、諺そのものであります。人間欲張ってどうするんだ、と言われている思いがします。
何がうれしいのかという問いに「人から認められることだ」と言うのです。それも最大限の賛辞がうれしいというのです。作品に対して「良い」と言われるより「傑作」と言ってほしい。
私はこの言葉にほっとしました。これが水木しげるという人そのものであり、ゲゲゲの鬼太郎の原点であると感じました。作品に対するひたすらな姿勢をここに見る思いがします。
NHKの朝ドラ『ゲゲゲの女房』が始まりました。主人公は水木しげるさんの奥様です。極貧生活も描かれるでしょう。きっと貧乏を楽しむような姿も出てくるのではないかと思います。
水木さんの人生哲学は、閉塞感が強まる今の私たちにとって、一つの光明になるのではないかと期待しています。
『坂本龍馬』はドラマですが、『ゲゲゲの女房』はドキュメンタリー的になるのではと、ワクワクしています。
松原先生の遺訓 桐生南無の会会報平成22年3月号掲載文
松原泰道先生の百三歳と記された書がしたためられたカレンダーが玄関に掲げてあります。七月に遷化される前に揮毫され用意されていたのだそうです。
ご存命であれば数えで百三歳の新年を迎えられる、その準備を半年ほど前に終えられていた訳です。私には考えも及ばないことで、カレンダーを頂戴した時には本当に驚いてしまいました。
表紙には『父母は我に生きてあり』
一月『光は光で人を招く』
二月『かえりみて己を知るべし』
三月『知って聞くは愛なり』
四月『心にものを隠すべからず』
五月『ひまを利用しない人はつねにひまなし』
六月『何事にもゆとりが大切』
七月『事終らば速やかに去るべし』
八月『子ども叱るな来た道じゃ』
九月『磨いたら磨いただけ光るなり』
十月『もう一人の私が見ている』
十一月『いつの世も人生行路はけわしい』
十二月『原因があって結果が生まれる』
とあります。その一言一言が心にずっしりと響いてきます。
七月の言葉を目にした時、ご自身の終焉をお分かりであったのだろうか。その言葉どおりの遷化であったのだろうか?本当にご自身で『事』終わったとお考えになられたのだろうか?まだまだ沢山のことを残されていたのではないか?考えれば考えるほど混乱してしまいます。
毎日カレンダーを見て、その言葉を味わい、その一言一言の重さを感じてしまいます。百年の重みとでも申しましょうか、簡単な言葉ではありますがこれが先生の説法人生の集大成でありましょう。お読みすればするほどに重みが増してまいります。
表紙の言葉『父母はわれに生きてあり』著書の随所にこの思いが滲み出ている事に気付かされます。病弱であったこと、ご両親の死について、それらを振り返られて、先生の心の奥底から発せられた言葉だと思います。
私もお話しをさせていただくときに『命』をテーマにいたします。限りない命のリレー、ここに阿弥陀様の現れを感じています。
私がここに居るためには、父母の存在がなくてはなりません。その父母にもそれぞれ父母が必要です。こうして私の存在を考えたときに、延々と遡らなくてはならない命の存在に気付かされます。どれ一つおろそかに出来ない、大切な命です。ご先祖様であります。
縁あってこの世に生を受け、色々な出会いをさせていただき、本当に有り難いと、そのまま真っ直ぐに私の心に飛び込んできた先生の言葉であります。しっかりと噛みしめたい思いです。
一滴の水にならん 桐生南無の会会報平成22年2月号掲載文
新年早々、ご挨拶も申し上げずにいきなり物騒な話題をお許し下さい。 チョット怖い流れが感じられてなりません。前回書いたことと重複しますが、より身近なことであります。
新聞にお悔やみ欄があることは皆さんご承知ですよね。そのために新聞を購読していらっしゃる方もいるようです。そのお悔やみ欄への掲載を断る事例が急に増えているようです。桐生地区で約三分の一にも上ると言います。この話を聞いてまさかと思いましたが、市の斎場の込み具合が、確かにお悔やみ欄と一致していません。
このところお悔やみ欄に掲載されている方が少ないから、斎場は空いているだろう。ところが予想に反して、今日は10件、この時間は5件有ります。みたいな状況があるのです。
恐らく慣れ親しんだ近隣の友達も、親戚も、ひょっとしたら兄弟にも知らされないうちに、本当に近親者のみでお葬式を済ませてしまう。あまりにも淋しいとしか言いようのないことが始まってしまっています。
お葬式は人として最後の、きわめて厳粛な儀式です。古来より日本人はとても大切にして参りました。これは世界中の人たちにとっても、宗教・人種・国家を超えて共通だとも考えられます。葬儀と結婚式が重なった場合には、葬儀を優先させるという暗黙の了解事項もありました。
身近な、親しい人が亡くなった。その時後に残された人々は、故人の生前を偲び、命のはかなさを感じ、自分の残された命をどう使い切るかなど、様々なことを考える場所でもあります。その最も大切な儀式が、省略されてしまうようになってきました。
その原因には様々なことが考えられます。経済的な理由が第一に挙げられてきます。お葬式には金がかかる、というものです。その延長線にあるのでしょうか、戒名はいらない・坊さんもいらない的な声です。墓も、生きた何の証もいらない、だから散骨だ。どんどんその理由付けが拡大しています。
この考え方が進む中で、宗教離れという言葉がどんどん一人歩きをしているように思えてなりません。高橋卓志さんの著書『寺よ、変われ』が端的にそのことを言い表しているように思えてなりません。今仏教は明らかに崖っぷちに立たされていることを感じます。
これ以上に危機を感じることは、家族の崩壊です。人間関係がきわめて希薄になってしまったきているように感じることです。上手にコミニュケーションをはかれない、その結果インターネットの世界にこもる人が増えてしまい、実に殺伐とした社会になりつつあります。
こんな状態であるからこそ、南無の会は一滴の水となり、乾いた大地を潤す会でなくてはと考える次第です。
堰は切れた 桐生南無の会会報平成21年12月号掲載文(2話あります)
つい先日のことです。越ヶ谷の檀家さんが亡くなり、葬儀に出向いたときのことです。
葬祭場は東日本の大手業者でした。たまたま時間にゆとりがあったので、責任者や従業員の方とお話をすることができました。その中で、愕然とする事実を知り、背筋が寒くなってしまったのです。
『最近、直葬が多くなっていると聞きましたが、ここらではどの位有りますか?』とお聞きしたのです。その答えは、あまりにもすさまじいものだったのです。
『直葬が半分を超えています。』にわかには信じがたい現実です。首都圏では三十%が直葬である、私はそんな情報を得ていました。ですから、せいぜい二十%ぐらいかな、という思いがあったのですが、みなさんはどう感じますか。
直葬になる理由はさまざまでした。一番多いのが経済的な理由のようです。政府が『日本経済はデフレに入っている』と正式に発表しましたが、リストラ等で収入が著しく下がっている事実があります。でも理由はそれだけではないようです。地域での人の関わりが極めて希薄になってしまったこと、親子関係が崩れてしまっていること。それにも増して、菩提寺から離れていくことが加速しているようです。
菩提寺があるなら、まずそちらに連絡をして、住職の都合を聞いた方がよいですよ。こんな投げかけを業者はしているそうです。それでも、あえて連絡もせずに葬儀を済ませてしまうのだそうです。
どこの誰だかも分からない僧侶、求められれば紹介をしているとのことですが、その場限りの儀式で終わりにしてしまうのはまだよい方なのだそうです。
地方の菩提寺に連絡もせずに葬儀を済ませてしまう、その延長線上には、先祖の墓の放棄や、散骨があるようです。散骨業者が『最近の散骨事情は、骨捨て状態になっている。』と言いだしてからあまり時間は経っていないのですが、拡大の一途をたどっているのが現実のようです。
早晩、この流れは地方にも拡大してくる事です。その勢いは増し、もう止めようがないところまで来てしまったと言えるのです。
桐生とて例外ではありません。間もなく直葬が誰はばかることなく行われるようになるでしょう。
改めて、寺が、僧侶が誰のために必要なのか?真剣に考え、実践しなくてはなりません。もはや一刻の猶予もなくなっています。
桐生南無の会でもお世話になっています長野県松本市、神宮寺ご住職高橋卓志師の著書『寺よ、変われ』(岩波新書)が、現実のものとなりました。
法話HP
十二月の南無の会、講師予定の月門さんが都合が悪くなり、急きょ何人かの都合をお聞きしたのですが、講師未定になってしまいました。
考えた末に『みんなが講師』でやることにしました。だいぶ前にも一度やったことがありますから、皆さん記憶されているかもしれません。結構面白かったと記憶しています。
当日、参加された皆さんそれぞれの思いを語っていただこうと思いますので、よろしくお願いいたします。
急にページが空いてしまったので、ページ塞ぎをすることにします。
私が十月に、法話専用のホームページを立ち上げたことは、皆さんご承知のことと思います。現在三話が出来上がっていて、いつでもご覧頂けるようになっています。
三話めは、平成十六年二月に浄運寺さんの話順婦人会でお話をさせていただいたものです。次はどれにしようか、あれこれ考えながら準備を進めています。
準備をするということは、過去の話を聞き直すことから始まります。改めて聞き直してみると、言い間違いがあったり、勘違いで話してしまっていたりと、結構おかしなところに気付くものなんですね。ついつい調子に乗りすぎて、かなり際どいことを喋ってしまっていたりもしています。
そして、編集をする話が煮詰まってくると、どんな画像を使うかを考えだします。話に相応しい画像や映像を考えようとするのですが、これがなかなか見つかりません。最初のインド仏跡参拝に関しては、全くその心配はなかったのですが、他ではそうもいきません。これが結構辛いですね。
その結果、境内の風景や、草花などの映像でお茶を濁すことになってしまいます。ご覧頂いたとき、違和感を持たれる映像になっていることがあるかもしれませんが、苦しんだ結果とご理解いただければ幸いです。
映像はあるにはあるけれども、版権の生じるものもあります。これは厳しい現実だと思います。宗に関わるもので有れば何とか借り出すことが出来るように了解を取り付けて、その準備をしたりとなってまいります。そのほかではチョット無理なものが沢山あり、これは何かでお茶を濁すことになりそうです。
まだまだ運用を始めたばかりですから、これからどう展開できるかも未知数のところがあります。ただ、このホームページをきっかけにして、仏教に親しみを感じてもらえたら有り難いことだと考えています。
あまりにもテレビ番組が低俗下し、くだらない話がばっこしている今、仏教とは、生きることとはを考えるきっかけになれることを目指して作っていきたいと考える今日この頃です。
泰道先生を偲ぶ 桐生南無の会会報平成21年11月号掲載文
10月25日、法事を終え、東武の特急へ一人で乗り込み・・・・・
泰道先生と奥様、二人の百日忌を兼ねての偲ぶ会へと向かいました。
会場へ着くと、真っ先に目に入ったのは南無の会(水書坊)の皆さんが、そして、そこには記帳の長蛇の列が出来ていました。そして受付を済ませ、会場内に。入り口には家族の皆さんが立って迎えてくださっていました。
とてつもなく広いホールの真ん中には、在りし日のご夫婦の写真が飾られていて、手をあわせていると、涙があふれそうになってしまいました。「先生、葬儀の際には失礼をして申し訳ありませんでした。本当にお世話になりました。」ただただお詫びしてお許しを請うばかりです。
席に案内をされて、なんとお隣は霊元さんではないですか。久しぶりに元気なお顔を拝見です。霊元さんは交通事故で死に損ない、私は食道の異変で緊急手術、これも死に損なった身であります。お互い死に損なった同士で会話が弾みます。
会場には600人の縁ある方々が駆けつけたのだといいます。桐生南無の会の記念講演会でお世話になった方々のお顔もありました。石上善応先生、市川智康師、高橋卓志師、中島教之師、桐生南無の会の25年を紡いでくださった方々、その中心には紛れもなく泰道先生がいらっしゃったのです。
会場の壁には、先生の奥様が描かれた絵が展示してありました。哲明さんの挨拶で『母の個展です』と、先生の著書の中で拝見したことのある優しい絵が沢山あり、これまた感慨深いものがこみ上げてまいります。こんな夫婦でありたい、そう思わずにはいられないエピソードも披露され、奥様の絵のすばらしさが倍加しました。
お孫さんの話で『私のその日(死んだとき)は、地獄での説法の始まり』と先生は語られたといいます。いかにも先生らしい、ユーモアと優しさに満ちたエピソードに、先生を失った口惜しさが募ってまいります。
私には、自分の心にぽっかりと空いてしまった空間を埋めようと、長年温めていた構想を実行に移しました。そうでもしなければ、この空しさは埋めようもありません。
突然、唐突、狂った様に新たなホームページを立ち上げました。それは法話のためのものです。写真や動画を見ながら聞くという、全く新しいスタイルのものです。先生がご覧になったらなんと仰られるか?呆れ返られてしまうかもしれませんが、賽を投げてしまいました。
先生の下で育てて頂いたご恩、『俺はそんなこと言ってないよ』と言われてしまうかもしれませんが、私なりの南無の会魂の現れとして、見守っていただけますように。ナーム 合掌
自問自答 桐生南無の会会報平成21年10月号掲載文
先月にも書きましたが、松原泰道先生の晩年の著書を改めて読み直しています。夜眠りにつく前の一時、桐生南無の会でのこと、私自身の歩んできた道などを振り返りながらページをめくっています。
読み返すほどに、改めて先生の凄さを感じています。また、これほどまでに先生の影響を受けているのかと、感じることがしばしばなのです。南無の会が桐生で始まって25年、その間に知らず知らずに先生の教えが身に染みついていたようです。
しかし、読み進めば読み進むほどに、何でもっと真剣に読んでこなかったのだろうかと、そんな後悔の念が強くなってきています。もっと解らなくてはならないことが、やらねばならないことが沢山あることに気付きます。先生がお元気であったうちに、しなくてはならないことが沢山あったように感じてならないのです。
『生涯現役』『独楽の舞倒れ』『一生勉強』沢山のキーワードが湧き出てきます。どこまで真剣にこれらのキーワードと向かい合っていたのか?ページをめくる度に反省しながらの一時です。
先生の御著書は130冊を超えていると言います。だとすると1年に3冊以上のペースで書き続けられたことになります。全国を飛び歩かれる中で、どうやって書かれたのだろうかと、驚きとともにそのご苦労が偲ばれるのです。
私は、ついつい「時間がない、忙しい」と口にしてしまいがちです。確かにいろいろな仕事を抱えています。3月の手術以降、めっきり疲れやすくなってもいます。でもそれだけなんだろうか?もっと時間を上手く使うことが出来ないのだろうかと、考えてしまうのです。読み返すことが、自分を改めて見直すことにもなりました。
今までどれだけ先生のご恩をいただいてきたのか、面倒をお掛けしたのか、その重さがずしりと感じられます。そして先生に改めて感謝を申し上げ、さらなる前進をしたい自分があります。少しでもご恩に報うことが、せめてもの恩返しになるのだと考えるのです。
先生の葬儀に参列できなかった自分を責め、気落ちすることもしばしばでしたが、10月25日(日)午後5時から先生と奥様の偲ぶ会が催されるとの案内をいただきました。私も、なんとしても偲ぶ会の末席を汚したいと思います。お詫びを申し上げなくてはなりません。申し込みの締め切りは10月15日です。(詳細はお尋ね下さい)
会報をお読みいただいてからでも間に合います。チョット無理をすれば日帰りも出来ますので、ご希望の方は申し出てください。ご一緒しましょう。
電車に揺られながら、思い出話を語る相手が欲しいのです。
心の足音 桐生南無の会会報平成21年9月号掲載文
今私の枕元には、松原泰道先生の著書が二冊置いてあります。先生の晩年の著書で、恵送いただいたものです。 今、読み返しをしている所で、改めて先生の凄さ・大きさを感じています。遷化されて早一月、お葬式に参じることが出来なかった自分のふがいなさに、悲しみは増すばかりであります。なんとしても行きたかった。悔しくてなりません。
その本の表紙をめくると、そこに先生のことばが書かれています。今そのことばをかみしめる毎日でもあります。
そこには「言葉は心の足音である」としたためてあります。
3年前、この本を頂いた時には正直言ってあまり重く感じませんでしたが、とてつもなく重い言葉であることに気づかされたのは先生が遷化されてからのことです。「南無の会でいっぱしの話をしているつもりのお前さん、そんなもんじゃないだろうよ。人間一生勉強だよ。一所懸命に勉強して、心を磨きなさいよ。」そう言われているように思えてなりません。
九十八歳の先生が、ひよこみたいな私に優しく諭してくださっている。今まで気づかなかった私はまだまだであります。七十年間の説法人生、そこからにじみ出てきた言葉だったのです。教えるのではなく学ばせていただく。そんな先生のお人柄そのものであります。「お前勉強しているか?」先生の口癖、それはご自身への問いかけでもあったのだと思います。ご自身の生き様を示し教えて下さったのです。
いつも穏やかに接してくださったこと、かけていただいた言葉の数々が今鮮明によみがえってきます。そして、泰道先生に巡り会うことが出来た、直に接することが出来た自分が、どんなに幸せ者であるか。今改めて感じています。
生意気にも、学林や教学講習会で講
師をさせていただき、そこで修行僧に「衣を身につけて何をしようとするのか、すぐに答えは出ないと思うが自分に問いかけ続けて欲しい」そう語るのは、まさしく自分への問いかけであります。こんなことを口に出せるようになったのも、先生のお陰かもしれません。むしろ、先生の言葉をそのまま発しているのもしれませんね。
これからどこまで進めるかわかりませんが、先生のお心に少しでも報いたい。そして「お前の足音いい音になってきた」ねと言ってもらえるような、そんな人生を歩むことが出来たらどんなにすばらしいことだろうか。
今後とも先生には見守っていただきたい気持ちです。先生に恥じることのない道を少しでも残したいと念じます。
桐生南無の会、発足以来二十五年を経過し、今日まだあることは、まさしく先生あってのこと。そのお陰の大きさをますます感じている私です。
去る平成21年7月29日 私たち桐生南無の会会員が師と仰ぎ尊敬しておりました南無の会会長松原泰道先生が満101歳で遷化されました。ここに謹んで哀悼の意を表します。
泰道先生を偲ぶ (追悼文) H21・7・29
皆さん既にご承知のこととは思いますが、去る7月29日午前11時28分に松原泰道先生が遷化されました。
現代の高僧として、百歳を超えてなお精力的に執筆を続けられる姿は、私たちにとって欠くことのできない道標でありました。
ご遷化の報に接したとき、私はとてつもなく大きな支えを失った思いで一杯になるとともに、今日まで私たちを見守り、励まし、育てていただいたご恩の深さを改めて思い、残念でなりませんでした。
先生は日頃から「独楽の舞倒れ」をおっしゃり、一生勉強、生涯現役の姿を身を以て私たちに見せてくださっていました。掛けていただいた暖かい言葉の数々が、お会いしたときのお姿が、桐生南無の会の講演をいただいた時のことなどが、走馬燈のように頭を駆けめぐり、気持ちの整理が付かない有様でした。
気持ちが落ち着かないまま夕方になり、イヌの散歩をしているとき、突然お釈迦様のことが頭に浮かんできたのです。二月に仏跡参拝の旅をしましたが、クシナガラの涅槃像のお姿が浮かんでくるとともに、お釈迦様の言葉が思い起こされてきたのです。
今まさに涅槃に入られる、その事態にうろたえ、嘆き悲しむ弟子達に「人は生まれたからには必ず死を迎えるものだ、私とて例外ではない。悟りを得て今日まで、すべてその内容は伝えた、もう何も残っていない。これからは、その教えに従い、自らを寄る辺にして、法を寄る辺にして修行を怠ることなく続けなさい。」というものです。
自灯明・法灯明の教えであります。私は、クシナガラの涅槃像の足下で、お釈迦様をお忍びし、額を付けお参りをしたのですが、その時のことがありありと思い出されたのです。
そして、お釈迦様のこの言葉は、正しく泰道先生のお心であると感じたのです。先生はかねがね、ご自身の生き死にについて語っておられました。
そして私たちに、身を以てお示し下さったわけです。
今まで、先生から教えていただいた数々は、これからの標になります。先生に笑われないようにより一層の精進を重ねることがなければ、今までの大恩に報いることは出来ないと思います。 衷心より感謝申し上げ、しっかりと後ろ姿を見つめてまいりたいと存じます。
私たちのことを気に掛けていただき本当に有り難うございました。 なお、先生のお通夜は8月2日午後6時から、お葬儀は3日午後1時から、ともに龍源寺で行われます。
どうしても都合が付きませんので、後日改めてお参りさせていただきたいと考えています。
猛暑?冷夏? 桐生南無の会会報平成21年8月号掲載文
今年の梅雨明けは、関東に限ってやけに早いものでした。37度の猛暑にいきなり襲われて、悲鳴をあげてしまいましたが、一変梅雨に逆戻り。半袖では寒い位の日まである始末。異常気象としか言いようがない感じがしてまいります。
こんなお天気で、蓮も熱帯睡蓮もなかなか元気になりません。蓮は花を咲かせてはいるものの、蕾があまり伸びずに、葉の下で咲いてしまったりもしています。
そんな中で唯一元気なのが『唐招提寺青蓮』奈良の唐招提寺に伝わる古い品種です。寺の名前が青蓮寺、そこにこだわり『青蓮』の名を持つ蓮を購入しました。園芸品種ではなく、花上がりはよくない。栽培も難しく、お勧めではありませんとの断り書き付きのものです。それなのに真っ先に花を咲かせ、一番元気な様子を見せてくれています。二つ目の蕾も順調に育っていて、栽培が難しいという言葉が信じられない状態なのです。
とは言うものの、大方の品種の元気がありませんから、今年は逆になってしまっているのかもしれませんね。
熱帯睡蓮は、三種類とも越冬に成功したのですが、やはり元気にならないという、蓮共々おかしな夏を迎えています。
このような状況下で、やたらと元気な雑草があります。ドクダミと猫じゃらし、この二つはとんでもなくはびこって掃除泣かせになってしまいました。
長期予報では、今年は暑い夏、最近になってエルニーニョ現象が現れだしているということが取りざたされる事態に。そうなると夏は短くなりそうだし。一体どちらに転ぶのやら、どちらにせよ極端は困ります。
とは言ってみたものの、どうすることも出来ません。人間の無力さを感じるばかりです。追い打ちを掛けるよう
に、北九州から山口にかけての水害。その惨状は目を覆うばかりです。
良寛様の話であったかと思いますが、災害に遭わない方法を尋ねられたとき、「災害に遭うときにはあえばよい、それが災害から逃れる最善の方法である」とお応えになられています。
あるがままに受け入れることが出来たら、どんなにか楽に生きられることでしょう。なかなか私たち凡人には出来そうにはありません。どうすることも出来ないのに、あれこれ迷ってみたり、困ってみたりしてしまいます。
そんなこと心配しているよりもなによりも、先日の日食が見られなくて残念がっている皆さん、二十六年後には北関東(正に居ながらにして)で皆既日食があるそうです。頑張ってみんなで見たいものですね。三年後ぐらいには金環食も見られるそうですよ。
皆既日食、その時私は八十五歳になっています。それまで生きてるぞ。
年々同じじゃない 桐生南無の会会報平成21年7月号掲載文
25周年記念講演会の興奮も過ぎ、アット言う間に次の原稿を書かなくてはならない。毎年同じようだと思いつつも、やはり何かが違う。
手術から四ヶ月が経過しようとしているが、まだ後追いは続いています。どうしても後手後手になってしまうのです。気ばかりが焦って・・・・
今年の梅雨は雨がよく降ると思いませんか。梅雨らしい梅雨とでも申しましょうか、それとも異常気象でしょうか。
今年のお天気で感じる異変を一つ紹介いたします。蓮についてです。
今年新しい品種が増えました。唐招提寺青蓮という、唐招提寺に伝わる小型の品種です。小型のくせに鉢は大きくなくてはならない、花付きが悪い、扱いにくい弱い品種である。花は七月の末ぐらいにならないと咲かない。どちらかと言えばマイナスの多い品種なのですが、寺の名前が青蓮寺ですから、どうしても『青蓮』と名が付く蓮が欲しくなります。
鉢に植え込み、永代供養のお墓の脇に据えたのですが、なんと6月1日に蕾が出ていることに気付きました。まだ立ち葉が3枚、とても蕾を持つ状況ではないのに。早すぎるから心配していたのですが、蕾は順調に生長し間もなく咲くところまできています。
去年蓮の蕾に気付いたのは別の品種ですが6月24日。その品種も蕾が既に出ています。やはり早い。どうやら聞いた範囲では同じような傾向が。
ところが熱帯睡蓮は生長が極めて悪いのです。3種類とも何とか越冬に成功したようなのですが、なかなか勢いが出てきません。同じ熱帯系の植物なのに、こうも違うのは不気味に思えてしまいます。
こんな様子を見ていると、今年は冷夏になるのかと、不安がよぎります。長期予報では平年並みか暑くなるようなのですが。結果はどうなりますか。
そう言えば、今月22日は奄美諸島で皆既日食があります。ここらでは全体の70%位欠けた様子が見られそうです。当日の晴天率は37%。こんな事もインターネットですぐに調べられます。
便利といえば確かに便利です。しかし私たちはあまりにも情報に頼りすぎていないでしょうか。中にはインターネット依存症と称される人までいるようです。
自分に必要でない情報間にまで心を奪われてしまう。一種の恐怖観念に陥ってしまうことがあるようです。
でも、本当は、私たちに備わっている五感を研ぎ澄ますことの方が大切に思うのです。自分の全身全霊でもって森羅万象を感じること、この方が生きて行くためには必要だと思えないと、まずいのではないでしょうか。
私たちは生かされているのですから。
25周年に寄せて 桐生南無の会会報平成21年6月号掲載文
私事ですが、突然の発病で手術・入院をしたことを前回書かせていただきました。それからまた一月が過ぎようとしています。
その間、お読みいただいた皆さんから、暖かい励ましや、ご心配をいただき恐縮しています。
手術の跡は、日を追って良くなってきています、にもかかわらずなんです。 あれもしなくては、これもしなくては、やらなくてはならないことが山積しています。ところが気持ちが焦るばかりで、一向にはかどりません。いまだにテンションが上がって来ないし、頭も回りません。
こうやって原稿を書いていても、パソコンと睨めっこはしているものの、一向に画面は埋まってきません。おまけに、もがけばもがくほど準備しなくてはならないのに手付かずの事柄が出てきてしまいます。情けないったらありゃしない、という心境です。
こんな調子でいると、だいぶ皆さんに迷惑を掛けてしまうのではないかと心配です。
そんな中であっても時間は実に冷酷です、確実に周年記念講演会の日時は迫ってきます。遅れを取り戻そうと気ばかりが焦っています。こんな状態ですので、皆様には是非とも寛大な気持ちでお許し下さいますようにあらかじめお願い申し上げます。
さて、今回講師としてお招きする事が叶った酒井大岳先生は、南無の会会友としてご活躍されている、私たちの目標としなくてはならない先輩でいらっしゃいます。
また、ナマステ・ネパール会代表として、ネパールに学校を造る運動に長く携わっておられます。金子みすゞさんの詩を仏教の観点から読み解かれることでもよく知られています。
その活動範囲は広く、とてもエネルギッシュな先生なのですが、文章の端はしに宝石のようにちりばめられている優しさは、とても魅力的で、慈愛にあふれています。
ネパールに学校を造ることも、その優しさがあってのことなのだと感じています。
どうしてこんなに優しいのだろう、なぜこんなに優しくできるのだろう。先生を知れば知るほどその魅力にとりつかれてゆく自分がそこにあるのです。
先生は大変な苦学を経験されています。そのご苦労たるや、すさまじいとしか言いようのないものです。そのご苦労が先生の優しさの源だと気付かされました。
今回の演題『心に高き帆を』は、先生のご著書『金子みすゞの詩と仏教』の第七章のタイトルです。金子みすゞさんの詩を、仏教の見地から読み解かれる先生ならではのお話を聞くことが出来ると思います。
人の知的欲求は死ぬまで衰えないと
言われる、最も強い欲求の一つですが、お話を通して知的欲求だけではなく自分の生き方を再度考えさせていただけるものと確信しています。
皆様にお願い
当日会場にて、先生のナマステ・ネパール会活動支援の一環として、カンパをお願いさせていただきたいと考えています。
先生のご講演をお聞きいただき、感動したら、良かった・得したと感じましたら、そのお気持ちをカンパしていただきたいと思います。
講演会場で、皆様に紹介させていただく、予定著書です。
『金子みすゞの詩と仏教』 大法輪閣
金子みすゞが遺した詩の中から三十二編について、その世界から感じさせられる仏様の教えについて著しています。
とても分かりやすくて素晴らしい本です。今まで金子みすゞに興味がなかった方でも、この本を読んだらもう虜になってしまうと思います。
税別千六百円
『あったかい仏教』 大法輪閣
~道元禅師の修証義にきく~
曹洞宗の祖、道元禅師の言葉を集めた『修証義』そこに説かれている道元禅師の教えを分かりやすく説いています。
曹洞宗のお檀家さんには是非とも読んでいただきたい一冊です。曹洞宗でなくても読んで見てください。仏教の精神が伝わってきます。 税別千八百円
『野に語る・般若心経』 光雲社
先生の人生を通して般若心経を語っておられますので、実に分かりやすいです。難解な部分もすんなりと読めて「ああそうだったんだ」と納得がゆきます。この本の帯がまた凄いんです。大宇宙。大自然。小さな「わたし」。すべてがつながり合う般若心経の世界と言うものです。 税込千六百八十円
『生き抜く力 禅のことば』 清流出版
禅僧としての先生の面目躍如、ご自身の体験を中心にまとめられていて、読んでいて本当に納得してしまいます。曹洞宗に限らず、あらゆる宗派の方にお読みいただきたい一冊と思います。 税別 千五百円
先生のご著書には、至る所にネパールのことやインドのことなどが出てきます。ですから読んでいるだけでネパールやインドに対する先生の思いの深さが分かってきます。
桐生南無の会の事務局長、観音院の住職月門師もネパールへの援助をされています。浄運寺の先代住職野口善雄師のスリランカへの援助は皆さんよくご存知のことでしょう。(現住職も)
私たちにも出来ることはあります。
生き返りました 桐生南無の会会報平成21年5月号掲載文
先月、4月の会報では、皆さんを驚かせてしまい申し訳ありませんでした。
私にとっても、思っても見ないハプニングであったというのが正直なところです。
異変は3月12日未明に始まりました。胃がちょっと痛くなったのです。胃炎持ちの私には良くあることで、様子を見ていたのですが「これは収まりそうにもない」と言うことで胃の粘膜保護剤を飲みました。普通はこれで収まるはずです。
ところが痛みが増すばかりで、今度はガスターを飲んだのです。これで収まるだろう・・・・ところがなかなか痛みが治まりません。朝食を食べ、10時を待って近くの量販店に熊手を買いに。そうしている内にも、痛みは増すばかりでした。ついに痛みのあまり震えが来る事態になり、「これはただ事ではない」今まで経験したことがない痛みに襲われたのです。
これにはたまらず、近くのかかりつけの主治医の所へ飛んで行き、診察をお願いしました。早速血液検査・エコーでの検査となりました。最初は石を疑ったわけですが、エコーには陰が写りません。
あれこれ診察する内に、ついに先生が焦り出しました。血液検査の結果、腹膜炎の兆候があるというのです。
今紹介状を書いている、先にはもう連絡を取ってあるからすぐに厚生病院へ行きなさい。あちらでは既に待機して待っている、と言うのです。
紹介状をもらい、慌てて息子の車で厚生病院へ行きました。主治医の先生の言われたとおり、紹介状を窓口に出すやいなや救急の診察室へとつれて行かれ、そこからさらに検査が始まりました。
心臓の疑い?ニトロを飲まされました。「どうですか?」「いや、先生これは心臓ではないと思います」そんなやりとりも。そして今度は内視鏡検査が、「どこも悪くないねえ、きれいだねえ、ん、ここが?いやこれは違うでしょう・・・・」お医者さんと検査技師のそんなやりとりが聞こえてきます。私にとっては「そんな流暢なこと言っていないで早く何とかして」という状態です。結局内視鏡検査では分からず。
いよいよ最後の手段?CTでの検査
になりました。検査が終わって先生が「どうも食道の所に白い陰が写っています、きっとこれは何か堅いもの、たとえば魚の骨とか。そして、その回りにモワモワとした黒いものが、こういう写り方をするのは液体なんです。たぶん膿だと思います。このままではしょうがないので手術をしますが良いですか?」
そう言われたって、こちらはどうすることもできません「先生にお委せします」そして、午後6時には手術が開始されてしまいました。これは正しく緊急手術でしす。
主治医の先生が「今日は木曜日だ、明日になると病院は手術をしないから急いだ方がよい」結果としてこの判断が最高の結果をもたらしたのです。
しかし突然の手術による入院、早くても三週間はかかります。正直これには焦りました。何たってお彼岸は目前です、お祭りがすぐ後に控えています。沢山の用事をこなさなくてはならない、 麻酔が覚めて、痛みにうめきながらも「どうしようか・・・」気がもめていました。結局、沢山の仕事をキャンセルしなくてはならず、実に多くの関係者の皆さんにご迷惑をお掛けすることになってしまいました。
手術の結果、食道壁の中が化膿していたのだそうです。「食べた物、何か堅い魚の骨とかが食道を傷つけた。その犯人は取れてしまい傷が残った、その傷跡に今度は種みたいなものがはまりこんでしまった。その後、食道はその傷を治してしまった。こうして異物が食道壁の中に残ってしまい、結果膿んでしまったんだろう。」これが執刀医の所見でした。「何か心当たりでもありますか?」そうは言われたって、思い当たることなどありません。「先日インドへ行きまして、あちらで鶏肉は食べましたが・・・」こんな事は、極めて希なことなんだそうです。
結局入院期間は一ヶ月にも及ぶものになってしまいました。が、その間いろいろなことを考え、また知ることができました。
一昔前であったら、確実に「皆さんさようなら、お世話になりました。」と言う事態だったのに、今こうして仕事をすることが出来ます。命拾いをしたのですから、これからは余録みたいなものかもしれませんね。
大いに大切に時間を使っていきたいな、と思うものの、まだまだ気力がありません。傷跡も寒いときには特に痛みます。歩いていても、空を見上げるのが苦しくて、下ばかり見ている自分に気付かされます。
ちょっとしたことでも、すぐに疲れてしまい、やりたいことの半分も出来ずに・・・・。ついついゴロゴロとしながらテレビを見ている自分があります。
アッ!あれをしなくては、等と考えつつも、全く進まないで気ばかりが焦っています。そんな私なので、申し訳ありませんがお許しを戴きたいと思います。
このことが仏教会では、ガンジス川でおぼれ損ない砂を飲み込んだ。みたいな話になっていたりで、笑い話にもなりませんが、これは誰にでも可能性があることなんです。
注意する、節制するということで防げることではないと感じています。極めて低い確率かもしれませんが、皆さんには是非ご自身のこととして受け止めていただければと感じます。
いつ何時、どんな病に襲われるか?明日は我が身、ご注意下さい。
変革元年 桐生南無の会会報平成21年2月号掲載文
世界同時不況の嵐の中で新年を迎えました。アメリカでは変革を訴えたオバマ大統領が誕生しています。
戦後60年以上が経過し、今まで築かれてきた社会の仕組みは、残念ながら既に限界に達しているのではないかと感じています。恐らく、世界全体が大きく変わることなく、この事態を超えることはないだろうと思うのです。
私たち団塊の世代は、まもなく年金生活者になろうとしているわけですが、今までのような保証が受けられるのかどうかさえ疑わしい限りです。昨年暮れに送られてきた年金受給予定額を見て、愕然としたのは私一人ではないと思えるのです。
間違いなくあらゆる社会の仕組みが大きく変わらねばならないことを、あの通知は雄弁に物語っているとも感じました。
パレスチナを始めとして、今なお世界各地で繰り広げられている紛争。その背景には、私たちには信じがたいほど根の深い宗教や人種・民族の対立、貧困や差別がどす黒く渦巻いています。そして、血で血を洗う争いで金儲けをたくらむ国だってあるわけです。
先日『ダイヤモンド』と言う週刊誌が仏教に関する特集を組みました。見出しを見て内容についてはおおよそ見当は付きましたが、それ以上にヒドイと言わざるを得ないような事例まで紹介されていました。
こんな事をやっていては、人々が仏教・寺から離れてゆくことに何ら疑問の余地さえないとさえ思えてきてしまいます。昨年11月に『寺が消える』と題した文章を書かせていただきましたが、事態は私が考えている以上に深刻なようです。
まさしく仏教・寺は、この世界で苦しんでいる人々にとっての存在でなくてはならないと、思いを新たにいたしました。私の漠然とした予感ですが、
日本のどこかで、寺が倒産したとか差し押さえになったと言う事態が起きるのではないかと考えています。従来からの寺のあり方は、あと数年しか保たないのではないでしょうか。
今、私たちは大きく変わらなくてはならないのです。ただ手をこまねいているだけでは、何の解決にもなりません。気が付いたら、お葬式の場面から僧侶の姿が消えている、そんなことにもなりかねないと思えてならないのです。
北関東の中核都市では、僧侶の姿のない葬儀が既にあるそうです。これは、早晩あらゆる地域に波及するであろう前兆現象で、もう止められないことだと思えます。私は、まもなくインドの仏跡参拝に旅立ちます。インドの地で、お釈迦様の声を、耳を澄ませて真剣にお聞きしたいと念願しています。 ひょっとしたらお釈迦様にも見放されてしまっているかもしれません。
年頭の言葉 源田 晃澄
新年にあたり、まずもって皆様のご多幸とご健勝をお祈りいたします。
昨年より世界情勢は大きく変化し、先行きの不透明な時代になってまいりました。しかし日本は、他国に比べて、まだまだ豊かな生活であると思います。でも、安心しては居られません。
日本の昭和20年代、敗戦後の食糧難。衣類・電気等が不足の時、我々の先輩は素晴らしい智恵を持って生きてきたことを思い出しました。今こそその歴史に学び、人間関係を豊にして、隣人を大切にし、助け合いの精神で共存共栄を計っていく必要があります。
そうすれば、どんな不況が起ころうと、乗り越えることが出きるでしょう。
これこそが仏教で言う仏様の慈悲の世界であり、南無の会の目指すところではないでしょうか。智恵をはたらかせる一年にして、皆様に幸せになって欲しいと思います。
年頭の言葉 田口 義昭
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
私は、昨年の10月に生まれて初めて入院いたしました。鼻の奥に腫瘍ができて、これを手術で取り除くためでした。幸いなことに、腫瘍は検査の結果良性と分かり、ホッとして有り難い気持ちでいっぱいになりました。
病院には実に沢山の人が入院していました。癌の治療のため喉に36回も放射線を照射しなければならない人、一晩中痛さのためうなっている人など、沢山の苦しんでいる人を見ていると、お医者さんと看護士さんのありがたさを改めて実感する事もできました。
鼻の奥にできた腫瘍のお陰で、四苦の中の『病』を知る事になりましたが、次は『死』なのかな?
今年は、経済不況の中で堪え忍び、仏様と皆様にささえられて頑張りたいと思います。
永代供養墓建設 桐生南無の会会報平成20年12月号掲載文
インドの地で制作、こだわりの序章が終わりました。3年前のインド参拝旅行以来、すっかりインドにはまった私が考えた永代供養のあり方が、形になろうとしています。
お釈迦様が最初にお説法をされた聖地『サールナート』鹿野苑の方がなじみ深いかも知れません。そこで発掘されたインドの国宝中の国宝、四頭の獅子が彫られたアショカピラー。これをモニュメントにしよう・・・。
そのアショカピラーは既に桐生の地に到着しています。その到着に呼応するかのように、設置に向けての工事が始まっています。基礎部分を作るために大きく地面を掘り下げています。2㍍も掘り下げたでしょうか、とてつもなく大きな穴が掘られています。
おまりにもお金がかかるので、とりあえず第一期工事としてのスタートとなりました。今年中には設置が終わる予定です。夢が現実に向かいだしています。坂村臣民さんの言葉『念ずれば花開く』を正に地で行く思いがしてきます。
掘り下げてゆく中で、大きな石が3つ出てきました。きっと山から崩れ落ちてきた物なのでしょう。この地中でどの位の期間眠っていたのか、この工事のために永い眠りから起こされてしまいました。私にとってもこれは驚きです。まさかこんな石が地中に眠っていようとは考えてもいませんでしたから。
まだ洗っていないので石の様子は分かりません、たぶん斜面に見られるのと同じ石だと思います。「この石どうします?庭石にならないかな・・・」
頭(かしら)だって困ってしまいますよね。その石を見つめながら『折角ここから出てきた石だから、この場所に置こう』と決めました。しばらくの間、脇に置いておくことになります。この石をどのように使おうか?新しい楽しみがわき出してきます。
基本形はすべて私がデザインしていますから、デザイン変更は全く問題なし、私が自分で納得しさえすればそれで済むことです。私の感性が試されるかも知れませんね。実現可能でなさそうな物でも、あれこれ方眼紙に書くことが好きな私にとって、たまらなく楽しい時間が持てることに感謝です。
私の、この思いをどう表現したら上手く伝えられるのか?お話をするのと同じ課程がここにはあります。自分の思いだけが先行したのでは、人は付いてきて下さらない、空回りとなってしまうのです。それを空回りにさせないようにじっくりと考えて。
こんな事を考えながら、インドの仏跡参拝旅行に心が高まってしまっている私です。『またお釈迦様にお会いできる』喜びと、『お釈迦様に叱られないように』と自分を戒める心がしのぎを削っています。
寺が消える 桐生南無の会会報平成20年11月号掲載文 (今月は2文章あります)
私は十年ほど前から、仏教寺院が淘汰される危機感を持ち、ことあるごとに警鐘を鳴らしてきました。今、この杞憂が現実味を帯びてきています。というより、むしろ『その事態に突入した』といった方が適切かも知れません。 地方はすさまじい勢いで過疎化・高齢化が進んでいます。関東の中にある桐生でもこの傾向は顕著です。山陰や北陸、東北の寒村では『限界集落』という現象が起きています。東京のど真ん中にも限界集落が存在しているとさえ言われるようになりました。
私たちの身近にある隣組も、高齢化により機能しなくなってきています。これは誰もが感じていることでありましょう。本当に恐ろしい勢いで高齢化が進んでいることが、朝夕のイヌの散歩をしていてもひしひしと感じられるのです。
散歩をしていると、一体どれほどのデイサービスの車があるのか、そう思わざるを得ないほど沢山の車がお年寄りを迎えに、送りに走り回っています。この現象がもっと極端に過疎地には現れています。既に「お葬式が一件あると、檀家が一軒減る」ということが言われる地域も見られるのです。
各宗派もこの事態にやっと気付き、その深刻さにどう対応して良いか右往左往している事態になってきました。今さら遅いと言わざるを得ません。
自らホームページを作り、その中で悩み事相談も受けるようになって、ますます寺がどうあるべきか考えてしまいます。寺の、僧侶の役割は何だろう。考えても明確な答えはでてきません。 仏教寺院として生き残るための明確な答えはいまだに発見できませんが、今までの考え方ではダメだと言うことだけは良く分かります。たぶん、こうすれば生き残れるという答えはないのだとさえ感じてしまうほど事態が深刻だと言うことだけは確かなことのようです。
恐らく、生き残れた寺のあり方が正解なのでしょう、そうとしか思えないのです。そんな中で、自分にできることを自分なりに実践してゆく、それしか道はないようです。
アメリカのサブプライムローンが破綻し、世界大恐慌以来の世界同時不況が取りざたされる今、寺を取り巻く環境は、私たちの想像を超える早さで変化してしまわないか、不安が募ってきます。
生滅を繰り広げているコンビニよりも寺院の数の方がはるかに多い、この事実をどう受け止めるべきなのでしょうか?たぶん仲良しクラブをやっていたらダメなのでしょうね。
お互い切磋琢磨しあう、その中に生き残りをかける個々の寺がある。これで初めて仏教が活性化するのではないでしょうか。南無の会はその先兵かも知れません。
心はインドへ 桐生南無の会会報平成20年11月号掲載文 (今月は2文章あります)
先日、インドで制作中であったアショカピラーが出来上がり、今ごろはシンガポール辺りだと連絡が入りました。
前回の参拝旅行、サールナートの博物館で見たアショカピラーに感動し、永代供養のモニュメントにしようと漠然と思ったのは二年前でした。そこから具体的なイメージ作りを始め、いよいよアショカピラーをインドで作ろうとしたら、以外とインドにはパイプがない、どこか制作依頼できるところはないか?半年も探して見つけました。
中国で作るなら簡単なことかも知れないと思いましたが、やはりどうしてもインドで作りたい。徹底的に拘って悪戦苦闘。でもこの一念、貫き通すことが出来、喜びも大きいものとなりました。後は到着を待つばかりなのです。
こんな事をしていたら、インドへの思いがどんどん大きくなってしまい、同時進行で仏跡参拝旅行を計画してしまうことになり、ますます心はインドへと。計画を発表し参加者を募りだしたのが一年前。最初は思うように参加者が集まらず、焦りの気持ちも生じていたり。八月の時点では、まだ十二・三人がやっと。冷や冷やものであったのが、九月十月と参加者が現れ、気が付いたら募集予定人数の最大値を超える恐れまで生じる事態。うれしい誤算に悲鳴をあげ、旅行説明会の日取りも決まりと、今では完全にインドモードに入ってしまっています。
そんな中で、インドのことを再度勉強し直してみると、これがまた面白いことだらけ。平成十七年二月の参拝旅行の記憶をたどりつつ、再確認をする中で考え違いをしていることに気付いたり、新たな発見があったり。
最大の発見(気付き)は、インドから見た仏教の位置付けであります。私たちは今まで、仏教の立場からインドの歴史を見ていたと言うことです。これは当然といえばそれまでなのですが、ここに大きな落とし穴があることに気付かされたのです。
何で今まで気付かなかったのか?当然として学んできたものが矧がれ落ち、全く違う仏教の姿が見えてきたのです。私達は、インドでは仏教が廃れてしまったと教えられてきました。しかしこの考え方は違う、そう思えるようになったのです。
そして、日本や中国の金持ちの多くが軽蔑されるのに、インドの金持ちは尊敬されている訳も分かりました。
十一月四日の例会では、私のインドに対する思い、そして私なりに理解したインドの宗教、民族の歴史、そこかから織り出されてきたインド人の智恵など、じっくりとお話しさせていただきたいと考えています。
なお今回のインド旅行、あと二人までは参加可能です。(十月二十三日現在)もし参加希望がありましたら声をかけてみてください。
なぜこんな 桐生南無の会会報平成20年10月号掲載文
先日の事件です。母親が我が子を絞殺という衝撃的な事件が起きてしまいました。親殺し、子殺しが後を絶ちません。事件が報じられるたびに「なぜこんな」と、思わず自分に語りかけてしまいます。
今回の事件の背景には、社会制度の貧困が見え隠れしているようです。将来を悲観しての、発作的な凶行なのかも知れないからです。もしそうだとしたら、最も気の毒な存在は、我が子を手に掛けた母親なのかも知れません。
最近よく言われていることなのですが、最近の若者には将来の希望が持てない社会であると。アメリカのサブプライムローンが破綻(バブルがはじけた)事により、また不況になる。そんな状況下にもかかわらず、企業は利益を出し続ける事でしょう。
正社員を雇わず、派遣社員や契約社員、パート、アルバイトと、安い賃金で文句を言わない弱い立場の人間を、これでもかといじめることによって、たやすく金儲けが出来る。甘い汁を吸った企業にとっては労せず出来る錬金術ですよね。
政治にまでこれが波及しています。地方自治体でも国でも、パート労働者があふれているのが今の姿です。こんな状況が良いはずがありません。民も官も、せっせと労働搾取。これで未来に希望をと言われたって、叶うはずがありません。
若者でなくてもこの構造が広がっていることに、私たちは危機感を持たなくてはなりません。誰もが幸せに生きる権利を有すると、憲法で明記してあるにもかかわらず、それを守ろうとしない国がどこにあるのかと言いたくなってしまうのです。
その反面、人を騙してでも金儲けをしようとする輩のなんと多いことでしょう。食料に出来ないはずの事故米を食料として売りさばく。そこに、少しでも安いコストを強いられる企業が蟻のように群がる。道徳も、規則もありません。
天下りで金儲けをたくらむ連中には、言い訳は出来ても改革など出来るはずがない。そんな風にあきらめてはいけないと思いませんか。お釈迦様が、人として正しく、幸せに生きるために、折角示してくださった教えがあるにもかかわらず、幸せになれないとしたら、虚しいではありませんか。
弱いものがいじめられる、こんな社会の縮図が子供の世界に現れてもいます。子供も希望が見えないのかも知れませんね。もっともっと明るい希望が持てるように、それがお釈迦様の教えなんですから、少しでも近づこうではありませんか。
悲しい事件はもう沢山です。『将来を悲観して』等という言葉が出て来ませんように。亡くなった子どもさんの冥福をお祈りしました。
思いやる心 桐生南無の会会報平成20年9月号掲載文
北京オリンピックが終わりました。いつもならもっとテレビ観戦ができたかも知れないが、ちょっと忙しすぎて、ニュースで結果を知ることが多かったように感じています。
開催期間中には、心配されたテロも起こらず何とか平穏に終わることができ、ほっとした人たちも多いのではないかと思います。私がこのオリンピック観戦で感じたことは、勝ち負けより日中の感情の対立の深さでした。
日本選手のプレーに対して、中国人達はブーイングの嵐。会場の入り口では、各国の国旗が応援用に売られているのに、なぜか日本の日の丸だけはない。実に大人げないことです。こんなにも日本に対して悪い感情を持っているのかと、改めて思い知ることになりました。この行為は世界のひんしゅくを買ったものでもありました。
さて、対する日本人応援団。こちらもあまり誉められたものではないように感じてしまいました。見ていると、突撃ラッパの音が聞こえてきます。あのラッパを吹いて応援していた人たちは、どんな思いで突撃ラッパを吹いているのでしょう。あの突撃ラッパは、中国の人たちには決して受け入れることができないものでありましょう。戦争の記憶そのものではないでしょうか。
ことある毎に中国は、日本帝国主義に対する憎悪と警戒の念を表明しています。その国に行って、帝国主義の象徴ともなりかねない突撃ラッパを吹き鳴らすとは、無神経にもほどがあると思わざるを得ません。
これは、どっちもどっちとしか言いようがありませんよね。オリンピックにまで反日本を持ち込む精神と、突撃ラッパの応援では、お互い反感を強めることはあっても、理解を深めることは到底無理なことです。相手を思いやる心の微塵も感じられません。
こんな事で、世界の経済大国だなんて大きい顔をしていたら、信用を失うばかりでありましょう。どの位の人がこれを感じたのか、疑問がますばかりです。もし私がそこにいたら、あの突撃ラッパだけでも止めさせようとしたかも知れません。
だいぶ前、ビルマ(ミヤンマー)に戦没兵士の慰霊に行った時、ホテルのレストランで軍歌を歌おうとした仲間がおりました。とっさに私は止めさせたのです。「ここは日本人だけではない、ビルマの人もいるかも知れない。日本人墓地で歌おう。」この判断は、今でも正しかったと考えています。
同じ事が、中国の地でも言えるのだと思えてなりません。相手が何を言おうとしているのか、何を思っているのか、それを分かった上で言うべき事を言い、やるべき事をやる。当然のことですよね。
『外交音痴の日本』と言われる原因がここらにあるように思えますが。
悲劇よ起こるな 桐生南無の会会報平成20年8月号掲載文
ついに桐生でも大変痛ましい事件が起きてしまいました。高校生が、プロフに書き込んだ内容でトラブルになり、殺されてしまいました。その数日前にも殺人事件が起きています。そして、八王子でも無差別殺人が起きてしまいました。残念でたまりません。
特に、八王子の犯人は「騒ぎを起こして親を困らせようとした」と言うではありませんか。これは、どう考えたって三十三歳の発想ではありません。何でこんな考えに至るのか、本当に理解に苦しみます。
コンピューターが身近になり、当たり前のように手にすることができるようになった。ゲームの世界にもコンピューターが入り込み、誰もが簡単にゲームを楽しみ事ができるようになった。ついには、ゲームでいかに高得点を出すかが興味の中心になり、ますますゲームに熱中するようになった。
そんな世代が、今重大な事件を引き起こしていると考えることができないでしょうか?思わず背筋が寒くなる思いです。ゲーム機の普及に従い、遊びの内容が変わってしまいました。
私が子供だった頃、遊びと言えば外でするものでした。そこに居合わせた子供達が、自分たちでルールを定め、それに従ってみんなで楽しむことが当たり前だったのです。そこで、社会のルールーを学んでいったのだと思います。
男の子であれば、誰もがナイフを持っていました。ナイフを使うことが遊びの道具を作り出すために欠かせないことでした。当然自分の指を切ります。我が身でナイフの危険さを学ぶことになりました。どうすれば我が身を危険から守れるのか、工夫もしなくてはなりません。いつしかナイフの使い方を覚えましたし、人に向けることもしませんでした。
ところが、ナイフは危険だとして、子供達から取り上げてしまい、その勢いで外で遊ぶことも危険だとする中でのゲーム機の登場は、まさに救世主に見えたのではないかと思います。親たちは子供達にゲーム機を与え、その結果子供達は外で遊ばなくなってしまいました。
そのため、安全になったと思っている中で、子供達はルールを定めて何かをしようとすることを学ぶ機会を失ってしまいました。刃物がいかに危険なものであるかさえ分からなくなってしまったのです。譲り合うことが必要不可欠なものであることさえ学ぶことができていません。
ですから、自分の意にそぐわないとなると、自制できないのではないでしょうか。そして、ゲームの世界そのままを演じてしまうことに。
子供を育てるために必要なことは何か、真剣に考え実行しないと、悲劇は繰り返されてしまいます。
やって良いこと悪いこと 桐生南無の会会報平成20年7月号掲載文
先日の秋葉原で起きた通り魔事件、何とも言いようがありません。亡くなられた方には、心からご冥福をお祈りさせていただきました。さぞや無念であったろうと思うと、なぐさめの言葉は見つかりませんでした。
自分にとっては、世の中が憎い。自分がこうなったのは、社会が悪いせいだ。そんな言い方は、昔からあったように思います。しかし、それが理由で、全く知らない人に対して殺意を抱く。この考え方が理解できません。
私だって怒りの心を抱くことはあります。しかし、その怒りの対象はあくまで限定的であります。怒りの原因と、怒りを向ける対象には、相関関係が生じているのです。怒りの原因と何ら関係のない人に対して、その思いを向けることは考えられないのです。
何故こうなってしまったんでしょう。最近起こる凶悪事件で、犯行に及んだその理由が「むしゃくしゃしたから・イライラしたから」など、怒りの対象が極めて曖昧であること。そして「誰でも良かった」と言う怒りの矛先。八つ当たりという言葉がありますが、これでは八つ当たりにもならないではありませんか。
現代は、人が人と顔を合わせて(向かい合って)会話をするという基本を失っています。顔が向かい合って初めて相手の感情が理解できるという、最も基本としなくてはならない原則が崩れてしまっていますよね。
このことは、私自身がホームページを開設し、ブログを書きと、様々な形でインターネット社会と関わっている中でも痛切に感じることがあります。自殺サイトを見てると、本当に開いた口がふさがらない状態になります。
何でこんな事を書き込めるのだろうか?疑問符だらけになってしまいます。そこには、あくまでも自分の感情だけで、相手を思いやる気持ちなどありません。自分が面白ければよい。そんなことなのでしょうか、あまりにも無責任なことが書いてあることもしばしばです。
本来、どのような場面であっても、してはならないことについては厳格な決まりが暗黙の内にあったと思うのです。子供のいたずらに対しても、危険が伴うことであれば、見つかればこっぴどく怒られた。怒ってくれる人は、親だけでなく、近所のおじさんであったり、場合によっては見ず知らずの通りがかりの人であったり。
貧しい時代だったかも知れないが、誰もが、良いこと・悪いことをちゃんと承知していた。ルール違反に対しては誰もが臆せず注意し、叱った。
人間形成で最も大切なこと、これがいつの間にか欠けてしまっています。豊かさの中で人は不幸になる。そう思えてならない、本当に痛ましい事件でありました。
失ってはならないもの 桐生南無の会会報平成20年6月号掲載文
今、私たちを取り巻く物事は、すさまじい勢いで変化しています。
社会構造全体が、一体どのように変わってしまうのか、皆目見当もつきません。と言わざるを得ないような変わり様であります。
国も、地方自治体も、宗教ですらその例外ではありません。
年金の問題、社会保険の問題、どれをとっても明るい明日を感じさせてくれません。お先真っ暗とはこのことをいうのだと、ついつい愚痴りたくもなります。
老若男女、子どもであっても、例外なくその変化の嵐にさらされているともいえます。その変化が、信じられないような事件を生み出す元になっているのではないでしょうか。
親が子を殺し、子が親を殺す。謂われのない殺人事件。「自殺するのはいやだから、死刑になりたかった。」これには言葉さえ失ってしまいます。とんでもない事件が、いつ身近で起きても不思議ではない。そんな、いやな思いに包まれてしまいます。
インターネットに起因する凶悪きわまりない事件も多発しています。その被害が子ども達にまで及んでいるのに、打つ手が無い。子ども達を有害サイトと言われる、危険きわまりない情報から遠ざけなくてはならないのに、親でさえその重大さ、深刻さを理解していません。
ラジオの番組で、六割の親が子どもの携帯電話に何の対策も施していないと報じていました。その言い分が『子どもを信じているから』だそうです。しかし、信じているはずの子ども達が次々と事件の犠牲になっている。それが現実です。
硫化水素による自殺も後を絶ちません。ニュースで報じられれば、報じられるほどに増加するのではないかとさえ思えてきます。自殺サイトと言われ
るホームページやブログを簡単に見つけだすことができます。
自殺をあおるような、子どもに重大な被害を及ぼす恐れがあるような、危険きわまりない、インターネット上にあふれる情報がなぜ規制できないのでしょうか?
こんな情報に対してでも『表現の自由』が許される必要があるのでしょうか?憤りを感じています。『国が違うから』そんな言い訳は聞きたくもありません。どんな国であっても、駄目なものはダメなのではないでしょうか。
今や、キレルのは子どもの専売特許ではありません。年齢、性別に関係なく我慢できない、自己中心の考えしかできない、そんな人が増えています。
この世は思い通りにはならない、肝心なことは、何一つ思い通りにはならないということを、しっかりと解っていなければなりません。
わがままな現代人への警告です。
今の日本を言い表すのに、あまり表現はよくありませんが『平和ぼけ』があります。
物事の本質をしっかりと見極めようともしないで、大騒ぎになることがよくありますね。今まで書いてきた事柄が当てはまるような感じがしています。 私たちは、ニュースで報道される事柄に対して『なぜ?』と言う疑問をもっと持つべきなのでしょうね。ただ一方的に報道されることに対して過剰反応をし、大騒ぎをしているかに見えていたものが、次の事件が起きると、全く忘れ去られてしまう。話題にすらならない、と言うことが多すぎないでしょうか?
本来、もっと違うことが報じられなくてはならないはずなのに『朝青龍が・・・・』の騒ぎばかりになってしまい、肝心なものが隠されてしまう。そんなことに気付きませんか?
先日、ミヤンマーを襲ったサイクロン被害、どれだけの人が命を落としたのか?救助を待っているのか?援助を待っているのか?本当に大騒ぎをしていました。ところが今度は四川省の大地震災害の発生です。こちらもとんでもない大災害です。
でもどうでしょうか、四川省の状況等の報道に対して、ミヤンマーの状況は一向に報道されなくなってしまいました。
情報が出て来ないからしょうがないでは済まされないはずです。たぶん、国際社会の目が中国に向いてしまったことを一番喜んでいるのは、ミヤンマーの軍事政権でしょう。
聞くところによれば、ミヤンマーのサイクロン被災地は、反政府勢力の強い地域だとのことです。国際社会の支援申し込みをかたくなに拒む軍事政権。本当の理由はどこにあるのでしょうか。マスコミも、政府も誰も語ろうとしません。もし本当の理由が解ったら、どんなことがおきるのか?
同じ事は、チベット弾圧でも言えますね。中国政府は、地震被災者には申し訳ないことですが、ほっとしているでしょう。チベット問題が高じたら、オリンピックにだって大きさ影響が表れることでしょう。それが、今回の地震で消し飛んでくれたわけですから、あとは名誉挽回のためにも情報をある程度出して、開かれた中国の演出が可能になりました。
私たちは、正しく物事を見極め、正しく考える事をしなければなりません。お釈迦様が二千五百年も前にそのことを教えて下さっています。
時宗の宗祖一遍上人は「捨ててこそ(捨てることの大切さ)」と説かれています。
今こそ、私たちは仏教徒としての自覚を新たにし、何事にも惑わされることのない正しい生き方を求めるべきではないでしょうか。
南無の会は、人が人として生きるためになくてはならない会なのだと信じてやみません。
二十四周年を迎えて 桐生南無の会24周年記念講演会パンフレット掲載(6月4日)
周年記念講演会の準備をしていて気付いたことがあります。今まで意識したことがなかったのですが、桐生南無の会の歴史は、私の娘より長いということです。
正直言って、我ながら驚きました。本当に長々とやってこられたことは驚きです。人であれば、選挙権を持つ立派な大人だということです。
南無の会を始めた時には、いつでも止められるという雰囲気がありました。確かに、もう止めようと話し合ったこともあったのです。それなのに今日まで、一回も休むことなく開催し続けることができました。
ここまで来てしまうと、もう止めるわけにはいかないというプレッシャーがかかってきてしまいます。これからが本当に厳しい道になると、自分に言い聞かせた次第であります。
周年記念講演会の講師、最も多くお話を頂くことが出来たのが松原泰道師、南無の会の会長であります。今までに三回のご公演を頂くことが出来ました。先生は昨年十一月、満百歳を迎えられましたが、意気軒昂、今でも原稿の執筆に余念がありません。
松原先生はよく「君は本を読んでいるか?勉強をしなくてはだめだ。僕は読んでいるよ。」とおっしゃるそうです。先生をよく知る先輩からお聞きしました。本当にすごい先生だと思います。
考えてみると、「桐生南無の会は良くやっているね。頑張っているね。」先生にほめられるのが嬉しくてやってこられたのかも知れません。子どもはほめて伸ばす、の諺通りかも知れません。お世辞だって、松原先生にほめられたとあっては、嬉しいに決まってます。
孫悟空のお話ではありませんが、先生の手のひらの上で泳がせていただけていたのかも知れませんね。「もう桐生南無の会は立派な大人なんだよ。もっとしっかりやりなさい。」そんな叱咤激励も聞こえてきそうです。
松原泰道先生におかれては、これからもお元気で、私たちの活動の標となり、導いていただけますように念じてやみません。
『この親にしてこの子有り。子を見れば親が分かる。親を見れば子が分かる。』こんな言葉がありますよね。かなうことならば、こんな会になれたら素晴らしいことだとつくづく思っています。
南無の会の基本理念であります『一宗・一派にこだわることなく、広く仏教の教えを説く。』ことが、どれだけ私たちを成長させてくれたか。
過ぎた時間を振り返ってみたとき、改めてその凄さを感じることができます。これまで、沢山のお陰をいただき、ここまでたどり着けたのだと思うと、感謝の気持ちでいっぱいになります。
桐生南無の会は、設立以来会費も会則もありません。毎月四日(原則)に例会を開催し、誰でも自由に参加できることを信条としています。都合の付く時だけ、ぶらりと会場へ足を運んで頂き、お茶代として五百円を喜捨頂くだけで結構です。それが私達の活動を支える何よりの励みになります。
桐生の地で宗派を越えたこのような会が開催できますことは、桐生仏教会の先輩達が築き上げて下さった素晴らしい伝統があってこそです。(桐生仏教会は平成二十二年、設立百周年を迎えます)
廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた明治期に設立された積善会以来、その精神は今日まで連綿と受け継がれています。その素晴らしい先輩達に恥じないよう、今後とも精進努力を重ねてまいる所存でございますので、桐生仏教会・桐生仏教会青年部、桐生南無の会の活動に対しまして、皆様の一層のご理解とご鞭撻を切にお願い申し上げます。
HPの幻想Ⅱ 桐生南無の会会報平成20年5月号掲載文
以前、宗のホームページを立ち上げたとき、議論になったのが「悩み事相談」などにどう対応するかと言うことでした。もし自殺をする、という内容の相談が寄せられたとき、誰が責任を持つのか?問い合わせなども誰が責任を持って返答するのか?
そのような心配があり、結局問い合わせはできない(メールを受けない)そのような結果になってしまいました。
私は、個人でホームページを立ち上げましたから、全て私の責任において対処する、この前提で様々な問い合わせに対処することに決めました。
当然「自殺」に関わる相談も受けるように窓口を開きました。確かに相談は突然入ってきます。「もう疲れた、死にたい。」そんなメールもあります。
しかし、思っていたほどは緊急を要するものは入ってきません。正直言ってほっとしているところです。インターネット社会が始まり、当初はお寺のホームページが大変珍しかった。話題性も今とは比較にならなかったはずです。数少ない門戸を開いている窓口に、相談が集中したこともあったようです。
しかし、多くの寺がホームページを持ち、門戸を開いている寺も沢山ある今、自分の悩み事相談の窓口として相応しいかどうか、それは相談者が自分の嗅覚で選ぶようになったのでしょう。
それでも、あえて言うならば、自殺者が後を絶たない今、寺は、僧侶はどう向き合うべきかを、真剣に考えなくてはならないと考えられるのですが。
寺院が、地域の中で一風景に過ぎない、と言われてしまうような時代です。これから寺を取り巻く環境は、ますます厳しくなってくるものと思われます。そんな状況下にあって、あえて寺がなくてはならない存在であることを、僧侶が自覚しなくてはならない。そんな気がしてなりません。
なぜこんな事を書くのかと言いますと、2月から意見公募をホームページ上で始めました。ローカル紙にも取り上げてもらいました。月刊ナームにも紹介していただきました。紹介された時、確かにヒット数は若干増えたのは事実です。しかし、意見がいまだに書き込まれてきません。
4月に入り、それまでとは比べものにならないくらいヒット数が増えています。1日平均で20件を軽く超えています。ですから意見公募をしていることが知られていないとはいえないのです。
にもかかわらず、書き込んでもらえないと言うことは、もう既に寺が魅力を失ってしまっているのか、無関心?なのか。
もしそうだとしたら、仏教の、寺の直面している末期的な症状はいかんともしがたいと、引導を渡されたとしか言いようが無くなってしまうのです。
杞憂であればよいのですけれども。
自殺サイトを見た 桐生南無の会会報平成20年5月号掲載文(今月は2編です)
このところ、亜硫酸ガスによる自殺が続いています。もうどうにもしようがないくらいに、沢山の人たちが同じ方法で自殺をしています。
インターネットの中で、どのように規制をしたらよいのかという議論も活発に行われるようになってきています。
そこで、私も遅蒔きながら『自殺サイト』を見てみることにしました。と言うよりも、私のホームページでも悩み事相談を受けるようにしています。
キーワードとして「自殺対策」「悩み事相談」「駆け込み寺」などを設定していますから、検索した時どのような順位で出てくるのかを調べてみたという方が正しいかも知れません。
『駆け込み寺・自殺』で検索をかけて、どのようなサイトがあるのかをずうっと見ていった時です。俗に言われる「自殺サイト」に該当するホームページがあることに気が付きました。
そこには、実に細々としたことが書かれています。何という名の商品をどの位求めればよいのか。どこで買えるのか。それを見たとき、こんなに簡単に手に入るものなのか、と驚きました。
ひょとしたら、既にあなたのお宅にもそろっているかも知れません。そのくらい当たり前の家庭用品ということです。そして、ご丁寧なことに、どのようにしたらより効果的に、楽に死ねるかまでもがちゃんと図示してあります。
自殺予告?のブログもありました。それを見た沢山の人が、そこに書き込みをしています。「死にたければ好きにすればよい」「人の迷惑だし、危険だからほかの方法にしろ」「死んじゃだめだ」等々。それにしても、自殺をあおるような書き込みは、一体どんな人がしているのか。
想像だにしたくない現実の姿がここにありました。世の中狂っている、としか言いようのない感じがしてしまうのは、私だけでしょうか。本当に悲しくなってしまいます。
だからといって、1日24時間、パソコンにかじり付いて、監視し続けるわけにもいきません。脱力感だけが残るいやな思いをしました。
自殺をけしかける人がいる、せっかく育てたチューリップを、傘でなぎ倒していく人がいる。こんな悲しい現実を見せられると、明日への希望なんか生まれてこないようにも思えてきます。
優しさというか、思いやりというか、そんな他に対する姿勢が欠如した世の中。まさしくこんなところが、勝ち組・負け組という言葉の副産物なのかも知れませんね。
人が死のうと、悲しもうと、自分には関係ない。そんなことには一片の想いすら向けたくない。そんな言葉が聞こえてくるようです。そんな想いで毎日を過ごしている人は、きっと満たされていないのでしょうね。
HPの幻想Ⅰ 桐生南無の会会報平成20年4月号掲載文
昨年9月、青蓮寺のホームページが産声を上げました。そうして、早くも6ヶ月が経過しました。
最初は全く見当がつきませんでしたが、最近になって、おぼろげながらですが判ってきたことがあります。
検索サイト(ヤフーとかグウグル)の中での順位がどうなっているのか、わりかし豆にチェックしているのですが、そこで判ったことは、世間で言われるほど人に見られていないと言う事実でした。
特殊なHP(芸能人とか名の知れた人など)は確かに1日に何万人という人が見ます。しかし寺のページとなるとそんな訳にはいかないようです。
現在青蓮寺のページを見てくださる人は、せいぜい1日20人程度です。しかしヤフーで『青蓮寺』を検索してみると、約293千件のなんと一番目に出てきます。青蓮寺と検索して出てくるのは、寺だけではありません。三重県の観光地に青蓮寺湖というダム湖があり、ホテルや観光農園・レジャー施設などのHPがひしめいています。
中には、ワンクリックいくら(そのページが開かれるたびに検索サイト管理者(ヤフーなど)にお金を払う)としてでも、より上位に表示してもらう。そのようなページを含めての第一位に出てくると言うことです。
お判り頂けるでしょうか。より多くの人に見てもらえている、かつ更新頻度の高いページが同じ条件なら上に来るという建前のようですから、青蓮寺をキーワードにした場合、私が住職をしている青蓮寺のページが最も多くの人に見られている?
そんな馬鹿な、と言いたくなります。2月中に見てもらえた回数は452回です。1日平均で15回。たった15回で一番なのです。これが本当の姿なのです。
これをほかのサイトで裏付けることができます。ニフティーという検索サイトなのですが、検索結果の第1ページ目の上に『ズバリ!青蓮寺の最新情報は”瞬!コレ”で』というコーナーがあります。同じキーワードが多い検索に出てくるようなのですが、このコーナーを見てみると、そのキーワードが出てくるブログがわずか5分ぐらいで紹介されたり、とても面白いコーナーなのですが、「青蓮寺」といえばコレ!という定番サイト。として紹介されています。
見てもらえる回数(ヒット数)は日によって違います。10回前後が3日も続くと、定番サイトから消えてしまいます。
やはり15・6回は1日にヒットしないとだめです。こんなもんなのです。
しかしどう探し当てたのか、たまにはメールが入ってきます。コレで儲かるなんて考えたら大違いだと言うことがお判り頂けたでしょうか。
春まだ遠し 桐生南無の会会報平成20年3月号掲載文
今年は、ラニーニャ現象が起きているそうで、6月ぐらいまで続くそうです。と言っても、私たちにはどうすることもできず、ただやられっぱなしになっているだけです。
立春を過ぎてからの寒波、結構強烈で、真冬のような寒さが続いていました。何年ぶりでしょう、本当に久しぶりに本堂で花瓶の水が凍り、朝のお勤めでは厳しいものがありました。
寒さで震えている私たちに関係なく、太陽の位置がだいぶ北に上がっています。陽の強さもだいぶ増し、風は冷たいが窓越しの日の暖かさは強い。着ているものにも困ってしまいます。
インド仏跡参拝旅行を一年後に控え、朝新聞を広げると、世界の天気予報欄。今から気にしたところでどうなるわけでもないのですが、ついつい目がいってしまいます。
参加者が上手く集まれば良いな、あれこれ檀家さんに募集文を考えてみたり。写経を募ったり。そして時々グーグルアースで、インドの仏跡を見てみたり。何回見ても変わるはずがないのですが、ついつい見てしまいます。
インターネットでインドの情報集めも結構楽しく、その結果新しいメル友ができたり。と、インターネットにもはまっています。ブログなるものも、やってみると結構面白いもので、写真を入れられるようになったりと、面白がっています。
寒い夜は、部屋にこもってパソコンとにらめっこ。いつしか時間の経つのも忘れてしまいますが、足下だけは、確実に寒さに凍えてしまいます。布団に入っても足先が冷たくてたまらないので、仕方がないので、使わなくなっていた母の電気あんかを置いてみました。ちょっと電気を入れるだけですが、これは調子がいい、と思ったのもつかの間、壊れてしまい全く暖まらない状態に。
泣く泣く新しいあんかを買う羽目になってしまいます。こんな調子で毎日を送っていると、時間の経つのが早いこと。もう今年も六分の一が過ぎてしまいました。
そうこうしているうちに蓮の植え替えをしなくてはならない時期になります。こうして、私たちは常に、なにかに追われるのでしょうね。これが終われば・・・。そんなに上手くはいきません。
季節感さえ失ってしまいがちになりますが、植物達はその時その時を、確実にこなしています。芽を出す時、花を咲かす時、その時々にしなくてはならないことをやり遂げていきます。
私たちも、その時々にしなくてはならないことがあります。忙しさにかまけて、やり損なっているのでは情け無いと言うことでしょう。
寒さに負けずに芽を出した、水仙の青い葉を見ていて教えられました。
子年を迎えて 桐生南無の会会報平成20年2月号掲載文
皆さんは『ねずみ』というとどんなイメージをお持ちでしょうか。よく見るとつぶらな瞳で、結構可愛い生き物です。しかし、いたずら?が過ぎますので、昔からどちらかと言えば嫌われ者的存在でありました。
臆病者ですが、結構利口で、豆に動き回りますから、一所懸命に動き回っていると「まるでコマネズミみたい」と言われてしまいます。
私事ですが、昨年はイノシシ年に相応しく、本当に猪突猛進的なところがありました。ホームページを立ち上げてみたり、永代供養を始めたり、挙げ句の果てにはインドの仏跡参拝旅行を企画してしまったり。本当にバカみたいにいろいろなことに取り組んでしまいました。
今年は、本当に試される年になってしまいそうです。ただがむしゃらに突き進むのではなく、コマネズミのようにちょこまかとやって行かなくてはならないのでしょうね。
寅年生まれの私は、あと2年で還暦を迎えます。五十台最後の悪あがきと言うところでしょうか、呆れ返られないように注意しなくてはならないと、自分に言い聞かせています。
一月になって、ホームページの中に四つの掲示板を設置しました。
①仏教・お寺についての意見交換
②檀家さんによる青蓮寺の評価
③生きること、命、永代供養などの語 り合い
④ペットについて語りましょう
と言うものです。
どういう結果が得られるか、内心はびくびくしていますが「やらなくてはならない、この状況を何とかしなくてはならない。」そんな思いが私の背中を押してしまったのです。
人の心はどうなってしまったのでしょうか?あまりにも信じがたい事件が多すぎます。これほどまでに人の心が乱れている原因の一つに、宗教の存在があるのではないでしょうか。
あまりにも怪しげな宗教?が蔓延ってしまっているのを、むざむざ見過ごしてしまっている。ただ手をこまねいて傍観してしまっている。お寺は・僧侶は単なる葬儀式の執行人、先祖の霊が怒って暴れ出さないように法事をする。そんな状況に甘んじて良いのか、反省しきりとなっています。
仏教のあるべき姿は一体何だ。原点に立ち返り、真剣に取り組まないと、本当に人々から見放されてしまいそうです。
ここに南無の会の存在意義が確かにあると思います。仏教の正しい(正統な)教え、この教えの下で生かされているという実感。そんなことを南無の会から感じていただければ本当に有り難いと思っています。
迎えました年が、良き年になりますよう、祈らずには居られません。
これ以前の文章はホームページ上にはありません。
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