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      ミニコラムのバックナンバーなどです。

 
 
永代供養墓苑『アユスの郷』第一期工事が終了しました 
青蓮寺の永代供養墓(合祀部分)はアショカピラー 永代供養墓(合葬部分)の一期工事としてインドの地よりアショカピラーを招来いたしました。
先日のインド参拝旅行では、実物と対面してきました。
インドの国章にもなっているこの像は本当に素晴らしいできばえで、見ていて飽きません。
インドの職人さんに等寸で作成していただきました。
永代供養墓(合祀墓)全景 本堂の前から見た様子です。ひときわ目立ちます。
前方に広がる芝生に、過日の参拝旅行で採集した各聖地等の土や煉瓦のかけら、石でもってインドの仏跡のお砂踏みを作る準備を進めています。
飛び石1つ35000円で、お施主さんを募集しています。
アショカピラーが参拝者を迎えます 駐車場から見えるアショカピラー、その大きさを想像していただけると思います。
高さは4.5メートルぐらいあり、完全に石塔の上に見えます。
ぜひお越し頂き、ご覧になられますように。
特に、永代供養をお考えの方にとっては一見の価値があるはずです。
 ニフティーの検索画面で、『画像』を指定し『インド仏跡参拝の旅』で検索を。これでOK。インド仏跡各地のビデオをご覧いただけます。今のところ私のビデオだけが検索されます。
 

             青蓮寺NOW(ミニコラム)のバックナンバー
 
                        坊さんという職業
 住職になって37年が経ちました。実に早いものですね。その中で自問自答し続けているものがあります。
 衣を着て何が出来るのかと言うことです。若い修行僧に毎年10回ちょっと90分の講義をしております。その講義の初回に必ず問いかけることがこのことです。
 今、仏教は・寺院は極めて困難な状況に直面していることを明らかにした上で、個々に自問自答して欲しいと言うことをお願いします。
 お経を読むことは、僧侶の仕事として考えた場合おそらく1割ちょっとがせいぜいでしょう。そのほかの部分が何であるのか?自分として何がしたいのか?何が出来るのか?
 生きている人とどう向き合うのか、命とどう向き合うのか。これが大命題になります。
 私は墓参に訪れる檀家さんとよく立ち話をします。その話の中で「これはちょっと問題があるな」と感じた場合には場所を本堂に変えることもあります。時には1時間以上話し込むこともあります。正直言ってこれは結構きついことです。でも、お帰りになる時、話す前の顔ではなく、さっぱりした顔になっている、和らいだ顔になっている、そう感じられた時には話をして良かったと思えます。
 時にはせっぱ詰まった様子で電話がかかってくることもありますし、話を聞いて欲しいと来られる場合もあります。
 檀家さん以外の方が見えることもあります。解決できない話でも、お聞きしながらアドバイス程度は出来ることもありますし、聞くことだけでも必要なことがあるのです。
 不思議なことに、話をしているうちに自ら解決策を見いだされるということがよくあります。今自分は苦しい、つらい思いをしている、話すのには勇気が必要です。聞く方にしても楽しいことではありませんよね。
 でも、一歩踏み出せたことで新たな展開が生まれることだってあると言うことです。きっと、お寺・坊さんに求められている事なのでしょうね。
 ところがお寺に来られる方の多くが、最初は別の所に行っているようです。たとえば怪しげな宗教もどきの所であったりと言うことです。占いみたいな所にもよく行っているようです。確かに、よく新聞広告で『悩み事相談』みたいなのがあります。
先日も、サギ騒ぎがニュースで騒がれていました。あれですよ。
 拝んで病気が治るなら、病院もお医者さんもいりません。あらゆるお困りごとの原因が霊障だみたいなうたい文句を書き連ねて、蜘蛛の巣みたいに獲物?を待ちかまえているのに。
 そんな所に行く前に、まずはお寺があるのにと思うとちょっと残念に感じます。生きている人のために寺はあるのだ、坊さんがいるのだと言うことを忘れないで欲しいのですが。
 もっともっと寺に、坊さんに要求できる事があると考えています。H20/04/15
 
 
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