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      青蓮寺NOW 第10号 
          

 お寺便り 青蓮寺NOW 平成23年7月9日 第10号 ホームページ版。メールマガジンには掲載されていない写真などもあります。
 アルバムは、青蓮寺の地震被害・青蓮寺の境内・津波被災地の順になっています。  
  
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 読者の皆様、前回からだいぶ時間が空いてしまいました。去る3月11日の東日本大震災発生から既に4ヶ月、いまだに混乱が収まる様子はありません。一日も早い収束と復興を願うばかりです。青蓮寺では本堂の壁が二面落ちた程度で済みました。あとはお墓の灯籠が10基ばかり倒れたました。墓石も傾いたりずれたりしたものがいくつかありますが、極めて軽微なものであると感謝しているところです。皆様には被害がありませんでしたか?震災直後多くの皆さんから『大丈夫でしたか?』ご心配を頂き感謝しているところであります。
 
青蓮寺の震災被害状況
本堂内の壁崩落の様子。一枚だけが完全に落ちてしまいました。あと一枚は落ちかけていましたが、かろうじて引っかかっていた状態でした。落ちたとことろが施餓鬼壇でしたので仏具がいくつか駄目になってしまいましたが、何とかこの程度で治まり感謝しています。
古い墓石はいくつか倒れましたが、これは仕方のないことです。最近の墓石には倒れたものはありません。いくらか傾いたり、竿石がずれたりですみました。
灯籠は10基ほど倒れてしまいました。この灯籠は下の部分は囲いにもたれかかったような状態ですが、上部がお隣の墓地に落ちてしまい墓誌を割ってしまいました。下の写真です。
落ちた灯籠の笠で墓誌がわれてしまっています。運がよいことに、誰も怪我をしなかった。本当に感謝です。灯籠は実に不安定なものだと分かりました、今後は灯籠の撤去を皆様にお願いしてまいります。
ここからは青蓮寺の境内の写真です。
暖冬だと思っていたらいきなり寒くなってしまって・・・・
凍結防止のため水を出しておいたらこんな事になった朝もありました。
寒い寒いと震えていても、直ぐそこに春が忍び寄ってきています。
うっすらと雪が積もりました。インドのお砂踏みがきれいに浮かび上がって見えたのでパチリ。
2回目の雪、こちらの方が沢山積もりました。とは言っても大雪にならずにすみました。
一遍上人も雪をかぶられて寒そうでした。
ちょっとした雪国気分、でも朝日が当たりたちどころに消えてしまいました。
アショカピラーの獅子にも雪が積もって、そこに朝日が当たって。
滅多に見られない光景ですね。
仏足石にも雪が積もって、普段と違った足形を拝むことが出来ました。 
3月に入り梅もほころび、いよいよ春です。
カタクリが春の訪れを告げてくれました。
水仙も一斉に咲きだして、境内はにわかに鮮やかに。
白木蓮と、桜(品種は分かりません)のツーショット。
気持ちも浮き立つと言いたいところですが、大震災の混乱の最中でした。
しだれ桜がひっそりと咲いていました。
山ではスミレが咲きます。
震災の発生から一月、混乱は続いていました。
そんな状況でしたが半僧坊の大祭はあえて実施させて頂きました。
今年は桜が遅くて、半僧坊のお祭りの時はちょうど七部咲き位でした。久し振りに、咲く勢いのある桜の下での花見が出来ました。
桜の葉が茂り出すとツツジの出番です。葉越しに山肌が染まってゆくのが分かります。
玄関先の藤もこの頃に咲きます。
蜜を求めて沢山の虫たちが飛び交います。
満開のツツジ、とてもきれいでした。
震災犠牲者の霊を慰める気持ちも込めて山桜の植樹をしました。
破れ傘の群落、こんなところも境内(山の斜面)にはあります。
まむし草も群落を作っています。
青蓮寺の山はとても楽しい場所です。
熊谷草、境内でここだけしか根付きません。
地蔵堂の脇のボタン。鮮やかな赤が目立ちました。
中庭のシャクナゲ、30年ほど前に林業試験場で買った苗が育っています。
紫蘭がだいぶ増えています。土地が合うのでしょうか、ろくな手入れもし無いのに元気に花を咲かせてくれます。
竹藪はイノシシのレストランと化しました。
凄かったです。
5月に入ると睡蓮が咲きだします。
今年一番に咲いたのはこれです。
アサザも咲き出しは早かったですね。とても強い植物なので、厄介者にならないようにいつも摘み取ってはびこらないようにしています。自然界では絶滅危惧にあるとか。
これは黄色の花の睡蓮です。
睡蓮と蓮は別の植物ですが、皆さんよく混同されますね。
白花のホタルブクロも清楚な感じで良いものです。
6月に入って泰山木がやっと咲きだしました。
いつもより数日遅かったです。
ねじり花がだいぶ増えました。毎年芝刈りをしないで花が終わるのを待った甲斐があります。
皆さんにはねじり花に免じてお許し下さいますようにお願い致します。
紫陽花はだいぶ種類が増えました。
昔からの額紫陽花。
紫陽花は品種改良が盛んで、色合いなども多彩になっています。
こうなると『アジサイ色』等という表現は出来なくなってしまうかも知れません。
このアジサイに至っては『赤』と言えそうな色合いです。
行田の古代蓮、7月7日に開花しました。
7月8日、開花2日目です。
7月9日、開花3日目です。(通常蓮は4日目に散ります。)
本堂左側の鉢植えです。
唐招提寺青蓮、花上がりが悪く、育てづらい品種のはずなのですがとても元気です。
ヒオウギアヤメが強烈な日差しにひときわ輝いています。きっと暑いのが好きなんでしょうね。
蓮と同じく熱帯が原産地なのかも知れません。
 東日本大震災巨大津波被災地(南三陸町・岩沼市)100日忌慰霊法要
6月18日早朝岩沼市の恵洪寺さんを出て南三陸町へ、桐生仏教会の一行6名と随行ボランティア4名はまず志津川の防災館前で回向をしました。
津波が押し寄せる中、住民に必死で避難を呼びかける中で殉職した女性職員の声はいまだに脳裏にこびりついています。
被災当時のままの防災館、この右手には役場の庁舎があったが基礎だけ残し全て流された。
左奥に見えるのが志津川病院、この4階にまで津波は押し寄せた。
その恐ろしさを身に感じる瞬間でした。
周囲にはまだ撤去されていない瓦礫の光景が広がっています。一瞬のうちに破壊し尽くす巨大な力の前には人間の力は無力なものであります。
3階の住宅の屋上には自動車が取り残されていました。逃げるしか術がなかった。
歌津にある平成の森に建設された仮設住宅。この中の多くの方が最愛の家族を失ってしまいました。
そして100日経った今でも行方不明者が沢山いらっしゃいます。
被災者の自宅(仮設住宅)で100ヶ日忌の御回向をさせて頂きました。
まだ仏壇もお位牌も、何も備わっていないお宅がたくさんあるようです。
被災された方との記念写真。一日も早い復興をお祈りするばかりです。
平成の森の山を越えた海側には津波で本堂・山門等が流された津龍院さんが。山門の跡で本堂に向かって御回向を。手前の墓標(震災供養塔)は流された本堂の柱で作られたそうです。
大きな石灯籠も基礎を残すだけです。
仮設本堂になった庫裏、奇跡的に流失を免れました。左側にあった本堂が守ってくれたのかも知れません。
この庫裏の軒下まで津波は来たそうです。天井は落ちてしまったそうです。
津龍院さんの上には流されてきた2階部分がそのまま放置されています。本当にここまで津波が来たとは・・・・。信じられない思いです。ちなみに、ここから海は見えません。
歌津の伊里前小学校の校庭で100ヶ日忌の供養を。
広沢の婦人会から託された千羽ツルもお供えしました。
アトリエさんから頂いたドーナツも皆さんに振る舞わせて頂きました。
お年寄りにはアメリカから送られたテディーベアも。
法要を始める時になると、非難所の方や周囲の皆さんが集まってきて下さいました。
皆さんと一緒に般若心経をお唱えして、お焼香をしご供養させて頂きました。
ここから前の海を見ると『本当にここまで津波が来たのか』と改めて驚かされます。
ここは天皇皇后両陛下もお越しになられた場所です。
被災された方から相談を受けているところです。本当につらい思いをなさっておられます。
少しでもお役に立てたらと思います。
宇多津の西光寺さんの前に広がる瓦礫。
こちらでは本堂・庫裏全て流されてしまいました。
津波に流された車がまとめられています。
この様になってしまう、信じられますか?
流失した本堂に向かって御回向を。
奥にあった墓石は津波に流されて左手の川の中にありました。
石仏が瓦礫の中から掘り出されました。
ご住職は、またお祀りできると喜んでおられました。
仮設本堂の起工式も行われ、地域の復興の核になることを祈らずにはいられません。
西光寺さんよりも奥、ここまで津波は来ていません。しかし被災された方はいらっしゃいます。
殉職された消防団員のお宅の前の道には、支援に駆けつけた人たちに感謝の言葉が。
胸が詰まります。
地震の後、避難誘導に当たられていて津波に襲われてしまい殉職された消防団員の方の100ヶ日忌の法要を勤めさせて頂きました。
親戚の方も大勢お集まりになって、一緒にご冥福をお祈り致しました。
思いもよらないところに漁船が流されています。
こんなところまで津波が来たんだ・・・・。
驚きです。
岩沼市の恵洪寺さんでの100ヶ日忌供養。
こちらではなくなった方々だけではなく、動物たちの供養も合わせて行いました。
養豚場のニュースを思い出します。
地域の方々も沢山参列されました。
地震の発生時刻に合わせ黙祷、そしてご供養を申し上げました。
恵洪寺さんの境内は清掃も終わり、津波の痕跡も薄れていましたが、お寺の山門前に広がる光景はそのままの状態です。
ここからは順序が狂います。

宇多津の入り口にあるガソリンスタンド。津波のキズが生々しく残っていますが、営業を再開しています。
看板の文句に、復興への思いが強く感じられます。
津龍院さんの上に取り残された家屋、2階部分。
したから津波に押し上げられてしまったものです。
集落の中で一番大きな民家だったと。
西光寺さんの前に広がる光景、左奥に墓地が写っています。
西光寺さんの墓地、津波に墓石一切が流されてしまっています。
上の方には無傷の墓石が。津波は本当に残酷なものです。
志津川の防災館。小さな建物ですが骨組みだけはしっかりとしていました。それだけに津波の強烈さが分かります。
志津川の防災館周囲。見渡す限り瓦礫の山と化していました。津波が到達したところ、そうでないところ、はっきりと分かるのが津波災害の特徴だと思います。
宇多津の入り口の惨状。奥に見えるのはバイパスの橋梁です。この左側は橋脚だけになってしまっています。
この頑丈な橋梁が流されてしまうなんて。
宇多津の伊里前小学校の校庭。
眼下には港があったはずです。
お越しになったお年寄りにはアメリカから送られたテディーベアをプレゼント。
伊里前小学校の校庭での法要。
校庭も人の背丈ぐらいは津波が来ているようです。校舎の一階が40センチ浸水したと校長先生が話して下さいました。
代表者にお花料をお渡ししました。
西光寺さんから見る湾の入り口方向。
右奥の林が茶色になっているのが分かるでしょうか?
海水が来たところ、そうでないところ、はっきりと線を引いたように別れます。
西光寺のご住職に、震災当時の様子をお聞きしました。本堂・庫裏全て流されてしまったと、鉄骨のガレージ兼物置だけが残りました。
17日夜、庫裏に泊めて頂いた恵洪寺さんのご住職と話を。私達の訪問を歓迎して下さいました。
恵洪寺さんの駐車場から本堂・庫裏を望む。ここで1メートルぐらいは津波が来ています。(庫裏の床上まで)
泥かきも終わって整備されていますが、植木達はほとんど塩害のために枯れています。
地面も固く締まってしまい、ここに津波が来たことがはっきり分かります。
上の写真の後ろ側に広がる光景です。田畑は当時のままです。(恵洪寺さんの山門前、道一つ隔てると津波の傷跡が生々しい。農地がかわいそうです。)
恵洪寺さんの本堂内には津波で亡くなられた方の祭壇が設けられていました。

 

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